●弘憲寺(利剣山遍照光院)
住所:香川県高松市錦町2丁目4-29
駐車場:不明
高野山真言宗。天平年間(729~749年)、行基が坂出市に法勲寺を開基したのが始まり。延暦13(794)年に空海が綾歌郡飯山町に移転するが衰微し、同町の島田寺が什物を管理した。慶長14(1609)年、高松藩主の生駒一正は父・親正の菩提を弔うため島田寺の良純の勧めで法勲寺を現在地に移し、親正の諡号の海依弘憲大居士から弘憲寺と改名する。
天保12(1841)年に焼失したが再建される。幕末、高松松平家が藩主となっていた高松藩は鳥羽・伏見の戦いで徳川方として参戦し敗北したため、当寺で家老の小河又右衛門が責任を取って切腹した。太平洋戦争での高松空襲でも難を逃れ現在に至る。
寺宝として本尊の不動明王立像(国指定重要文化財)、生駒親正肖像図(市指定重要文化財)などがある。生駒親正夫妻墓所は県指定史跡である。
(高さ16メートルもある五重塔。石の五重塔では日本最大らしい。昭和25(1950)年、戦没者の慰霊のため建てられた)
(バスケットゴール。寺の子が遊ぶためにあったのあろうか。後ろに鐘楼が見える)
(宥遍上人試力石。宥遍は二代目住職で怪力の持ち主と伝わり、魔物がこの石を投げてきた際に投げ返したそうな)
(生駒親正夫妻墓所。親正は織田信長、豊臣秀吉に仕え、長篠の戦いや賤ヶ岳の戦いなどに参加し、讃岐一国を与えられた)
感想:駐車場があるのか分からず近くの有料駐車場に駐めて歩いて行った記憶があります。
参考文献:高松市史、香川県の地名、弘憲寺の公式サイト、高松市公式ホームページ