江甫草山城(つくもやまじょう、細川氏の居城)

●江甫草山城(つくもやまじょう)
住所:香川県観音寺市室本町
駐車場:室本港や蓮光寺に駐車場があるが利用して良いか不明
遺構:曲輪、堀、土塁、石塁
標高:153メートル/比高:153メートル

 九十九山城とも呼ばれる。三方を海に囲まれた海城である。築城年代は不明だが細川氏の居城だった。細川氏は北の城下町と室本港を有して高い経済力があり、4代に渡って当地を支配している。天正6(1578)年頃、城主の細川氏政が長宗我部元親の攻撃を受け氏寺の興昌寺で自害した。

(北東の麓に建つ蓮光寺から登る。その途中で見た室本港)
室本港

(東の曲輪群に到着)
東の曲輪群

東の曲輪群

(主郭)
主郭

主郭

(主郭にあった石)
主郭

(西の曲輪群。石塁があった)
西の曲輪群

西の曲輪群

西の曲輪群

(全景。手前が室本港)
全景

感想:駐車場から蓮光寺に入ったので気がつきませんでしたが山門に城址碑がありました。数枚の写真の門に黒いものが写っていますがレンズフードがずれてケラレただけです。トリミングが面倒だったのでそのままにしました。
 西の曲輪群で横堀も見た記憶があるのですが写真はなく縄張図にもなかったです。

参考文献:香川県中世城館跡詳細分布調査報告、香川県の地名

(縄張図)
縄張図


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讃岐羽床城(羽床氏の居城)

●讃岐羽床城
住所:香川県綾歌郡綾川町羽床下
駐車場:なし
遺構:曲輪、土塁、堀
標高:82メートル/比高:21メートル

 藤原家成を祖とし在庁官人だった羽床氏の居城である。承久の乱で後鳥羽上皇に味方して庶流の香西氏に地位を奪われ所領も失った。南北朝時代には香西氏に従い北朝側として活躍し、戦国時代も当地の領主として力を振るう。
 天正7(1579)年、長宗我部元親に攻められ果敢に抵抗したが香川信景の仲介により降伏。その後、讃岐十河城攻めなどに加わり四国攻め後に元親が土佐一国に押し込められると讃岐を支配した仙石秀久に従った。だが天正14(1586)年の豊後の戸次川の戦いで当主・羽床資吉が戦死し滅亡する。

(全景)
全景

(水の手曲輪)
水の手曲輪

(井戸跡)
井戸跡

(本丸跡の土塁と書いてあるが切岸に見える・・・。写真を撮ってから数年経っているので忘れた)
土塁

(本丸)
本丸

(本丸跡に建つ祠。羽床氏を祀っているようだが詳細は不明)
祠

(城址碑)
城址碑

(虎口)
虎口

(下記の縄張図のⅡの曲輪のだと思う)
2の曲輪

感想:前は竹藪でしたが伐採され見学しやすくなったと聞いたので再訪しました。そうしたら今度は陽があたって雑草が生長していました。

参考文献:香川県中世城館跡詳細分布調査報告、日本城郭大系、綾上町誌

(縄張図)
縄張図


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雨滝城(安富氏の居城)

●雨滝城
住所:香川県さぬき市津田町津田・大川町冨田・寒川町神前
駐車場:登り口付近に駐車スペースが有るが、雨滝自然科学館の辺りで駐車して歩いた方が無難

 標高253メートル(比高210メートル)の雨滝山に築かれた山城。城主の安富氏は下総の出身で室町幕府の重臣・細川頼之に仕え、応安年間(1368~75年)讃岐に入り、長禄年間(1457~60)に雨滝城を築城したという。応仁の乱では細川四天王の一人として活躍した。その後、東讃の守護代になるが香西氏など大身の領主が多く統治は安定しなかった。
 元亀3(1572)年、安友盛定は三好長治の重臣・篠原紫雲と婚姻関係にあったことから両者で昼寝城主・寒川氏に圧力をかけ、虎丸城引田城を譲渡させる。そして盛定は虎丸城に移り、雨滝城は家臣の六車宗旦が城代となった。天正10(1582)年、中富川の戦いで長宗我部元親に敗北した十河存保が虎丸城に入ると盛定は雨滝城に戻る。翌年、元親が東讃にも侵攻。盛定は羽柴秀吉を頼って播磨に逃れ宗旦に守備を任せたが、宗旦は元親に抗しきれず降伏した。その後、安富氏は四国攻めで長宗我部軍が土佐に撤退すると仙石秀久に仕えたという。

(全景)
全景

(入口。登山道が整備されていた)
入口

(西端の切岸と曲輪。登りは左側に何段にもなった曲輪があった)
西端の切岸と曲輪

(虎口かな、と思って撮影)
虎口

(本郭)
本郭

(本郭に建つ祠。昭和34(1959)年に建てられたそうな)
祠

(本郭から東方面を望む。正面の港は津田港だと思う)
津田

感想:北と東にも遺構があったそうですが、道が無いので行きませんでした。
 城の入口まで車で行けますが道が狭いので止めておいた方がいいです。

参考文献:香川県中世城館跡詳細分布調査報告、寒川町史、大内町史、日本城郭大系

(縄張図)
縄張図


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