山陰の戦国史跡を歩く 島根編

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「山陰の戦国史跡を歩く 島根編(ハーベスト出版)」を出版しました。全ての市と郡257ヶ所の戦国時代に関する史跡を写真付きで掲載しています。地図・コラム・年表・人物事典も充実しています。
山陰の書店と全国の地域史のコーナーに並んでいます。書店に置いてない場合は「ISBN:978-4864563185」でご注文下さい。金額は1800円+税となっております。
ネット通販でも購入できます。
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内容については公式サイトから立ち読みが出来ます。
立ち読み_山陰の戦国史跡を歩く島根編

個人でもCMを作りました。ド素人の拙い動画ですので代わりに作って下さる方がおられたら、お会いした際にお菓子の詰め合わせくらいは御礼としてお渡しします。

山陰の戦国史跡を歩く 鳥取編」も発売中です。島根県東部と鳥取県西部は密接な関係にあるため鳥取編も御購入いただけると理解が深まると思います。
令和時代に出た最初の島根県の戦国時代史跡ハンドブックです。御購入、何卒よろしくお願い致します。

島根編 注文書

「もっと知りたい! 長宗我部元親」電子書籍化

注目

 令和元(2019)年5月15日に「もっと知りたい! 長宗我部元親(PHP研究所、税込630円)」が電子書籍化されました!

 内容は下記の通りです。
☆本文・・・長宗我部氏の歴史を六章に分け会話形式で分かりやすく紹介しています。地図も豊富に入れて土地勘のない方にもなるべく理解していただけるようにしています。
☆感想・・・各章末に入れています。本文が古い説をもとに話を進めているため、出版した平成22(2010)年に主流となっていた説などを載せています。
☆人物事典・・・一族・家臣・四国各県の武将を紹介しています。一般に出回っている長宗我部関係の本より四国各県の武将の紹介にページを割いています。
☆史跡・・・長宗我部氏に関連した四国の史跡を紹介しています。ほとんどが公共交通機関で行ける場所です。
 この本の主題は「土佐統一~四国平定」の過程です。特に分かりづらい四国平定をざっくりと本文で紹介し、各武将の細かい動きを人物事典で解説するという形になっています。多少なりとも理解の助けになれば幸いです。令和2(2020)年の大河ドラマ『麒麟がくる』に出るであろう元親や四国状勢の予習に如何でしょうか。

 下記のサイトから購入できますので、よろしくお願い致しますm(._.)mm(._.)mm(._.)m
PHP研究所 公式サイト
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コミックシーモア
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DMM電子書籍
ひかりTVブック

山陰の戦国史跡を歩く 鳥取編

注目

「山陰の戦国史跡を歩く 鳥取編(ハーベスト出版)」を出版しました。全市町村228ヶ所の戦国時代に関する史跡を写真付きで掲載しています。地図・コラム・年表・人物事典も充実しています。
山陰の書店と全国の地域史のコーナーに並んでいます。書店に置いてない場合は「ISBN:978-4864562713」でご注文下さい。
ネット通販でも購入できます。
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内容が分からないと思いますのでCMを作りました。ド素人の拙い動画ですので代わりに作って下さる方がおられたら、お会いした際にお菓子の詰め合わせくらいは御礼としてお渡しします。

山陰の戦国史跡を歩く 島根編」も発売中です。鳥取県西部と島根県東部は密接な関係にあるため島根編も御購入いただけると理解が深まると思います。
平成時代に出た最初で最後の鳥取県の戦国時代史跡ハンドブックです。御購入、何卒よろしくお願い致します。

追記:2023年7月、重版されました。二箇所の史跡の差し替え、五十音の索引の追加、ミスの修正を行いました。

鳥取編 注文書

土佐片岡城(片岡氏の城)

●土佐片岡城
住所:高知県高岡郡越知町片岡
駐車場:なし
遺構:曲輪、竪堀、堀切、土塁
標高:165メートル/比高:103メートル

 南に仁淀川、西に谷の内川が流れており城の東西は急峻な崖で北は標高の高い連山がある天然の要害だった。築城年代、築城者は不明だが当地を支配した片岡氏の城である。東にある法厳城が本城で片岡城は支城だったという(法厳城を片岡城と呼んでいたという説あり)。
 片岡氏の出自は諸説あり定かではないが遅くとも応仁の乱の頃には土佐に入国し勢力を広げた。長宗我部氏が西に侵攻してくると家臣となって、四国攻めでの伊予の戦い(天正の陣)や豊後の戸次川の戦いで奮戦している。

(神社の参道があるので登りやすい)
参道

(すぐに南端の曲輪に辿り着く)
南端の曲輪

(南側の竪堀。当時は参道がなかったため、南から攻めて来た敵に対して効果的だったのだろう)
南側の竪堀

南側の竪堀

南側の竪堀

南側の竪堀

南側の竪堀

(南端の曲輪のすぐ北にある曲輪)
北にある曲輪

北にある曲輪

(上記の北にある曲輪。要するに三段になっており、その西の斜面に上記の竪堀がある)
北にある曲輪

(三段の曲輪を利用して造られた参道を登り切ると鳥居や社殿のある逆L字型の主郭に辿り着く)
主郭

主郭

主郭

主郭

主郭

主郭

(主郭にある片岡氏発祥五百年祭記念碑。建てられたのが昭和10(1935)年に見えるが鮮明でないため自信がない)
片岡氏発祥五百年祭記念碑

(主郭の西端の曲輪。中央に堀切があり、三方が崖になっており堅固だったのが分かる。見学するには危険が伴うので注意が必要)
西端の曲輪

西端の曲輪

西端の曲輪

(主郭の北にあり一番高い位置にある曲輪。さほど広さはなく『土佐の山城』には宗教的な儀式で利用された可能性があるとの記載があった)
高い位置にある曲輪

高い位置にある曲輪

(上記の後ろ(更に北)にある巨大な二重の堀切。北に続く連山と城域を切断するためだろう。個人的には一番の見所だった)
二重の堀切

二重の堀切

二重の堀切

二重の堀切

二重の堀切

二重の堀切

二重の堀切

二重の堀切

(堀切から見た一番高い位置にある曲輪。この切岸を登るのは無理)
切岸

参考文献:高知県の地名、土佐の山城、日本城郭大系、越知町史

感想:社殿までは簡単に登れますがそこから先の堀切などは道が整備されていないので、それなりの装備で行った方がいいです。



大城調練場跡(隠岐騒動での島民集結の地)

●大城調練場跡
住所:島根県隠岐郡隠岐の島町西町大城の四
駐車場:なし

 幕末、外国船に備えるため当地で松江藩の武士や文久3(1863)年に組織された農兵隊の訓練場となった。隠岐騒動の際は島民集結の場所になっている。現在は西郷小学校のグラウンドやプールとして整備されている。

大城調練場

大城調練場

感想:小学校の許可を取り撮影させてもらいました。
 隠岐騒動についての詳しいことは『島根のトリセツ 地図で読み解く初耳秘話』を参考にしてください。



土佐米ノ川城(土佐南部氏の居城)

●土佐米ノ川城
住所:高知県高岡郡四万十町米奥
駐車場:あり
遺構:曲輪
標高:279メートル/比高:45メートル

 北から東にかけて四万十川が流れている。土佐南部氏の居城で築城年代、築城者は不明だが、応安3(建徳元,1370)年に陸奥にいた南部周防守高忠が当地に来て開発したという。南部氏は大野見氏に仕えるが裏切って津野氏と共に大野見氏を攻撃して与津浦に追いやり、以降は津野氏に仕える。津野氏が長宗我部元親の配下となった後も引き続き津野氏に仕え、最後の当主・太郎左衛門長宗我部盛親の改易後に山内氏に仕えていたが、大坂の陣では盛親の元に駆け付け戦死している。

(登って行くと如意観音堂。大乗寺が建っていたが明治4(1571)年に廃寺となった。ここも曲輪跡か?)
如意観音堂

(西に進むと曲輪らしき場所がある)
曲輪

曲輪

(更に西に進むと工事車両用の道に出た。ここも曲輪などの遺構があったと思われる)
工事

工事

工事

(工事の道を進むと出てくる主郭。西側から登るのが難しかったため南から廻って登ったが、南側の道(?)が藪になっており主郭の反対側が崖になっているため行かない方がよい)
主郭

主郭

(左奥の小丘が米ノ川城)
米ノ川城

(城の東の四万十川に架かる一斗俵沈下橋)
一斗俵沈下橋

一斗俵沈下橋

四万十町地名辞典さんによると、城と四万十川の間の山崎建築工業さんの建つ小字シロハナ(城鼻)の辺りも城域だったが、昭和初期に米奥小学校第二運動場造成で消滅したらしい)
山崎建築工業

参考文献:高知県の地名、仁井田五人衆

感想:土佐南部氏が来た陸奥南部という地名が分かりませんでしたが、上記の四万十町地名辞典には陸奥の二戸から来たとありました。城郭放浪記さんには畝状竪堀群が載っていましたが分かりませんでした。