牟岐八幡神社(蜂須賀家の庇護を受ける)

●牟岐八幡神社
住所:徳島県海部郡牟岐町牟岐浦
駐車場:あり

 正式名称は八幡神社だが、他と区別するため牟岐八幡神社と呼ばれている。祭神は誉田別命・気長足姫命・玉依姫命。承久2(1220)年に当地の地頭が創建し、元亀2(1571)年には地元の領主・藤原虎房が再建した。慶長2(1597)年を初めとして何度か徳島藩主・蜂須賀家の修築の援助を行っている。

(町指定天然記念物の八幡さんのクスノキと鳥居。元治元(1864)年、土佐藩に対し嘆願書を提出したため処刑されそうになった野根山二十三士は阿波へ逃げたが宍喰の関所で止められ、当社の境内まで移動させられた後、土佐藩に引き渡され処刑されている)
クスノキと鳥居

(拝殿)
拝殿

(神馬)
神馬

参考文献:徳島県の地名、高知県立坂本龍馬記念館公式サイト

感想:牟岐城を見に行く際に参拝しました。



阿波愛宕城(長宗我部の阿波侵攻で陥落)

●阿波愛宕城(宍喰南城)
住所:徳島県海部郡海陽町宍喰浦
駐車場:なし
遺構:曲輪
標高:24メートル/比高:21メートル

 海運の宍喰浦と陸運の土佐街道に面した要衝にあり、宍喰浦は材木の搬出で有名な港だった。築城年代は不明だが城主は藤原元信が伝わり、天正5(1577)年の長宗我部元親の阿波侵攻で落城している。その後は元親の家臣・野中国吉が入ったという。
 永正9(1512)年の津波の際、避難所として利用され、この時に南町が壊滅し北町に中心が移った。慶長9(1604)年にも津波があり、この時も避難所として利用されている。

(全景。今も津波避難所として利用されている)
全景

(山頂に建つ愛宕神社。社伝などは手元の資料では分からなかった。ここが曲輪になる)
愛宕神社

(境内)
境内

参考文献:徳島県の地名、三好一族と阿波の城館

感想:遺構がほとんどありませんでしたが、戦国時代から避難所として利用されていたということは当時からこのような状況だったかもしれません。



阿波 由岐城(由岐氏の居城)

●阿波 由岐城
住所:徳島県海部郡美波町西由岐(字東)
駐車場:なし
遺構:曲輪
標高:21メートル/比高:17メートル

 由岐浦と土佐街道を押さえる位置にあるが、同じような立地条件にある牟岐浦や宍喰浦と違い材木の搬出ではなく船舶の寄港地としての役割が大きかったと思われる。現在は埋め立てられているが、当時は由岐港に面していたようだ。
 築城年代は不明だが、城主は由岐隠岐守有興と伝わり、天正3(1575)年の長宗我部元親の阿波侵攻に際し降伏したという。しかし天正10(1582)年の中富川の戦いでは三好方として戦死した中に由岐善左衛門の名が上がっており、織田信長と元親の関係悪化に際し由岐氏は三好方に帰参していた可能性がある。その時に廃城になったという。現在は城山公園として整備されている。
 城域の可能性が指摘されている公園の西に建つ西由岐八幡神社は天正17(1589)年の創建と伝わり、本祭で奉納される西由岐のうちわ踊りは県指定無形民俗文化財で阿波踊りの原型ともいわれる。

(由岐城と由岐港。港の沖で幕末に幕府軍と薩摩軍による阿波沖海戦が行われた)
由岐城と由岐港

(忠魂碑や祠が建つ城山公園(主郭?))
城山公園

(切岸らしい)
切岸

(西由岐八幡神社。地図を見る限り、境内ではなく背後の後山が城だったのだろうか)
西由岐八幡神社

参考文献:徳島県の地名、三好一族と阿波の城館、現地の案内板、関西祭.com

感想:特にないです。


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