高野山奥之院の五輪塔6 森忠広の墓(供養塔)

●高野山奥之院の五輪塔6 森忠広の墓(供養塔)
住所:和歌山県伊都郡高野町高野山(字 奥ノ院(原文ママ))
駐車場:入口にあり

 高野山での菩提寺は釈迦文院。森忠広(慶長9(1604)年~寛永10(1633)年)は森忠政の嫡子だったが心労のため乱れた生活を送るようになり、忠政の命で江戸に軟禁された。そこで病に罹り父の忠政より早く亡くなる。五輪塔は忠政が建立したもの。

五輪塔の正面には下記の通り刻まれている。
施主美作国守藤原
朝臣森中将忠政
矣為先森左近太夫
    顕徳院殿
(梵字ア) 大禅定門
    光甫宗本
藤原朝臣忠魔建
立焉
寛永十一年二月二十二日

森忠広の墓

参考文献:戦国武将と高野山奥之院: 石塔の銘文を読む

感想:徳川秀忠の養女と結婚しましたが二人の間に子が生まれる前に養女が死去したため、将軍家との繋がりが断たれる心労から酒と女に走ったそうです。