阿波重清城(長宗我部と三好の争奪戦の舞台)

●阿波重清城
住所:徳島県美馬市美馬町字城53
駐車場:無し
遺構:曲輪、土塁、堀、虎口
標高:98メートル/比高:34メートル

 南側以外は川が流れる天然の要害。室町時代に小笠原長親が築城したと伝わる。天正6(1578)年、阿波に侵攻していた土佐の長宗我部元親の軍が三好氏側の当城に迫り、元親に従っていた大西頼包は降伏した城主・小笠原長政らを謀殺し城を奪い取った。同年、十河存保軍が3千の兵で攻め奪い返したものの、長宗我部軍の逆襲で再び元親の支配下となる。

(城の周りを囲む二重の土塁と堀)
二重の土塁と堀

二重の土塁と堀

二重の土塁と堀

二重の土塁と堀

二重の土塁と堀

(虎口)
虎口

(曲輪)
曲輪

曲輪

曲輪

曲輪

(曲輪の中心部に建っていた小笠原神社。歴代城主を祀っている。現在は僅かに祠だけが残っている)
小笠原神社

小笠原神社

(2009年に訪問した際の小笠原神社。写真では伝わらないかもしれないが、この時からかなり危険な状態だった)
小笠原神社

(曲輪内にある井戸)
井戸

感想:2009年訪問時は遺構に興味がなく少し写真を撮っただけだったので再訪しました。二重の土塁と堀は必見です。
 予想はしていましたが小笠原神社の倒壊はショックでした。


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2015年四国史跡巡り(5日目その4:南新居城・矢野備後守の墓・安芸飛騨守の墓)

28.南新居城(八幡神社)・・・徳島県徳島市不動本町1丁目292。南新居城は中富川の戦いで戦死した堀江国正の城で八幡神社の辺りだと推測されている。

(八幡神社の鳥居)

(拝殿)

感想:次の目的地に行く途中にあったので寄ってみました。


29.矢野備後守の墓・・・徳島県板野郡藍住町東中富。阿波八上(勝興寺)城主で十河存保の家臣だった矢野虎村の息子・矢野備後守(備前守)の墓。父の虎村と共に中富川の戦いで戦死している。

感想:ここに墓がある理由は分かりませんでした。


30.安芸飛騨守の墓・・・徳島県板野郡板野町犬伏蔵佐谷。土佐安芸城主だった安芸国虎の息子・飛騨守の墓。国虎が長宗我部元親に滅ぼされると阿波に逃れ三好家に仕えるが宿敵・長宗我部氏と中富川で戦い戦死している(異説有り)。

感想:当たり前ですが、行かれた際は水田の中に入ってまで撮影をしないで下さい。


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2015年四国史跡巡り(5日目その3:源義経の像・阿波夷山城・一宮成祐の墓)

25.源義経公之像・・・徳島県小松島市芝生町旗山。1185年に義経が小松島市に上陸して高松市の屋島で戦ったことから1991年に旗山に建てられた。足元から弓の先まで約7メートルあり、騎馬像では最大である。

感想:国道55号からいつも見ていましたが、今回は初めて間近で見ました。写真では分かりませんが、とにかく大きい。


26.阿波夷山城・・・徳島県徳島市八万町。南北朝時代は八万城と呼ばれた。戦国時代には細川真之・篠原氏・庄野氏が城主となる。1582年11月、阿波一宮城主・一宮成祐が当城に呼び出されて謀殺されたことで知られる。四国攻め後、廃城になった。
 現在、一部が圓福寺公園になっている。

(遠景)

感想:碑があったらしいのですが見逃しました。山頂の付近は立ち入り禁止になっています。

27.一宮成祐の墓・・・徳島県徳島市八万町。元親に謀殺された一宮城主・一宮成祐の墓(供養塔?)である。

感想:この辺りは道が狭いため気を付けて下さい。


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