筑後守 について

過去の著書 ○もっと知りたい! 長宗我部元親 ○戦国武将の意外な関係 ○「戦国合戦」 意外・驚きエピソード ○大坂の陣・なるほど人物事典

石見指月城(津和野城の支城)

●石見指月城
住所:島根県鹿足郡吉賀町六日市沢田
駐車場:入口近くに駐車スペース有り
遺構:曲輪・土塁など
標高:523メートル/比高:200メートル

 北に高津川が流れ南は平家ヶ岳の連山が続いている。石見の最南西近くの周防との国境に位置する。
 「匹見明見地斎藤氏系図」には平家の残党である斎藤実春が当地に逃れ、斉藤氏四代が在住したとある。室町中期になると津和野城主・吉見弘信の弟である竹内直信が入った。天文23(1554)年、陶晴賢が津和野城攻撃のため周防の山代から侵入した際、江良賢宜らの攻撃を受け落城し城主・守弘は戦死している。

(全景。手前は中国自動車道)
全景

(ちょいちょい迷って仕方なく直登したら主郭と東の曲輪の間に出た)
曲輪

(「ん」の字形の城域の東側。端に見えるが、この先にも曲輪が続く)
東側

(更に東に行くと二重の横堀があると縄張図にはあったが…これかな)
二重の横堀

(二重の横堀を越えると一段高くなっているところがあった。櫓台?)
櫓台

(東端の曲輪は土塁に囲われている)
土塁

(主郭(「ん」の真ん中)に至る尾根)
尾根

(主郭手前に到着)
主郭手前

(主郭)
主郭

(土塁の一部?)
土塁の一部

(主郭その2)
主郭その2

(主郭から更に北にも曲輪があった)
北の曲輪

感想:あちこちに横堀があったらしいのだが、ほとんど見つけられなかったです。危険なところは行かないようにしていたせいもあったと思います。


島根編 注文書

木曽野(木薗)遺跡(石見吉見氏発祥の地)

●木曽野(木薗)遺跡
住所:島根県鹿足郡津和野町中曽野
駐車場:なし(史跡周辺は道が狭く駐車スペースもなし)

 弘安5(1282)年、元寇に備え石見の防衛のため能登から移った吉見頼行が館を構えた土地である。その後、吉見氏は津和野に拠点を移した。

(木園神社跡に建つ鳥居。吉見氏の祖、源頼信・頼義・義家三代の霊と始祖の範頼の霊を祀っていたが八幡宮に合祀された。八幡宮とはおそらく中曽野の冨長山八幡宮のだろう)
鳥居

(木園神社跡に建つ社殿)
社殿

(吉見氏居館跡。字(あざ)は御所屋敷である)
吉見氏居館跡

(居館跡に建つ朽ちかけた標柱。「木部の歴史」は読めるが後は不明。木部の歴史を守る会がある(あった?)らしいので、それだろうか。木部とは中曽野を含めた地域名)
標柱

(居館跡の端に建つ鞭柳の石碑。吉見隆頼が山口の大内氏に参向の際、頼義社に参拝し柳の鞭の枝を持ち帰りこの地に植えた。碑には数首の和歌が刻まれている。何代目かの柳があったようだが気がつかなかった)
石碑

(吉見の池。居館の飲料水として使用され、吉見氏が津和野城に移った後も若水(元旦にくんで用い一年中の邪気を払う水)として大切にされた)
吉見の池

(伝・吉見氏の墓。右が伝・頼行夫人の墓で、左が一族を祀る墓らしい)
伝・吉見氏の墓

(吉見氏の菩提寺・源流寺跡。吉見氏が津和野城に移ると城下に移され興源寺と改号された)
源流寺跡

感想:この地区は空き家が多く、将来の山陰のほとんどがこのようになると思うと悲しくなってきました。ここも昔は吉見氏関連の祭りとかやっていたのでしょうねえ…。


島根編 注文書

三本松城築城三石工の墓(津和野城の出丸、織部丸築城石工の墓)

●三本松城築城三石工の墓
住所:島根県鹿足郡津和野町鷲原
駐車場:なし

 慶長5(1600)年、津和野城主となった坂崎出羽守直盛は城の北西に出丸である織部丸の築城を計画。直盛は紀伊の石工の根来坊、阿林坊、南胡坊を招誘し築城させたが、完成すると城の情報漏洩防止のため斬殺したという。ここはその3人の墓だと伝わる。

(入口。看板も立っており分かりやすい)
入口

(墓に行くには石段を少しだけ登る)
石段

(墓所全景)
墓所

(おそらく3人の内の2人の墓だろう)
2人の墓

(多分だがもう1人の墓)
1人の墓

感想:隣に建つ中原集会所を目指して行くと分かりやすいです。
 直盛は治世が短かったせいか津和野では悪い話が伝わっていることが多いですね。


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