播磨 仁位山城(毛利軍が上月城攻めで利用した付城)

●播磨 仁位山城
住所:兵庫県佐用郡佐用町仁位
駐車場:東側の曲輪に駐車スペースあり
遺構:曲輪、畦状竪堀群、堀切、土橋、土塁
標高:231メートル/比高:41メートル

 天正5(1577)年、羽柴秀吉が毛利方の赤松氏(上月氏)が籠もる上月城を攻めた際に付城として築城したという説もあるが不明。天正6(1578)年、毛利軍が上月城に籠もる尼子再興軍を攻めた際に付城として利用した。毛利元就が出雲の月山富田城を包囲した際に本陣とした出雲勝山城と同じく周囲を畦状竪堀群で防御していることから可能性が高い。曲輪に関しては削平が甘い箇所が多く急造した感がある。

(佐用川の対岸から見た仁井山城。木が生えていない当時は畦状竪堀群が見えていたと思う)
佐用川の対岸から見た仁井山城

(向かって右が仁井山城で左が上月城)
右が仁井山城で左が上月城

(入口。ここも害獣対策のため自分で開閉するようになっている。道も整備されており車だと楽に山頂まで行ける。ちなみにこの辺りの字は出口や上ノ出口だが城と関係があるのだろうか)
入口

(曲輪P。ここに車が駐められる。場所は下の概略図を参照)
曲輪P

(曲輪群Ⅰ)
曲輪群Ⅰ

曲輪群Ⅰ

(曲輪Ⅱ。ここから上月城が見下ろせる。西の曲輪は削平がしっかりしてあった)
曲輪Ⅱ

曲輪Ⅱ

曲輪Ⅱ

(Aの堀切と土橋)
Aの堀切と土橋

Aの堀切と土橋

Aの堀切と土橋

(曲輪Ⅲ)
曲輪Ⅲ

曲輪Ⅲ

曲輪Ⅲ

(北端の曲輪群Ⅳ)
曲輪群Ⅳ

曲輪群Ⅳ

(戻って曲輪Ⅴ。ここから先は削平が甘い箇所が多い)
曲輪Ⅴ

曲輪Ⅴ

曲輪Ⅴ

曲輪Ⅴ

曲輪Ⅴ

曲輪Ⅴ

(B地点。小さな堀や曲輪があった)
B地点

B地点

B地点

(曲輪Ⅵ。便宜上、番号で分けているが境目が分からない)
曲輪Ⅵ

曲輪Ⅵ

曲輪Ⅵ

(曲輪ⅦとⅧ)
曲輪ⅦとⅧ

曲輪ⅦとⅧ

曲輪ⅦとⅧ

(堀切群C)
堀切群C

堀切群C

堀切群C

堀切群C

(曲輪Ⅸ)
曲輪Ⅸ

曲輪Ⅸ

曲輪Ⅸ

曲輪Ⅸ

曲輪Ⅸ

曲輪Ⅸ

(曲輪Ⅸから見た羽柴秀吉の本陣・高倉山城。と言ってもどれか分からんかった。多分、向かって右だと思うが。仁井山城が上月城と高倉山城の連携を断つ位置にある)
高倉山城

(Dの曲輪と堀切)
Dの曲輪と堀切

Dの曲輪と堀切

Dの曲輪と堀切

(仁井山城の一番の見所の畦状竪堀群。写真はEの辺り)
畦状竪堀群

畦状竪堀群

畦状竪堀群

(地点Fの周辺。横堀などがある)
地点F

地点F

地点F

(南側のG周辺にある畦状竪堀群。ここが一番分かりやすく、比較のためマネキンが立ててあった)
畦状竪堀群

畦状竪堀群

畦状竪堀群

畦状竪堀群

畦状竪堀群

畦状竪堀群

畦状竪堀群

畦状竪堀群

畦状竪堀群

畦状竪堀群

畦状竪堀群

畦状竪堀群

畦状竪堀群

畦状竪堀群

畦状竪堀群

畦状竪堀群

畦状竪堀群

畦状竪堀群

畦状竪堀群

畦状竪堀群

(畦状竪堀群を見た後、山道を下って上月駅にある売店でパンを買った。数キロ北に戻れば食堂などがあったが面倒だった)
山道

パン

参考文献:兵庫県の地名Ⅱ、兵庫史の研究:松岡秀夫傘寿記念論文集、中世播磨250の山城

感想:畦状竪堀群と上月城を見下ろす位置から勝山城など京羅木山城砦群を意識した感じがあり「月山富田城攻防戦の再現だ。今回こそ尼子再興を目指す奴らを滅ぼす」という毛利軍の強い意志を感じます。

(概略図。クリックすると別のタブが開きます)
概略図


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