●又兵衛田
住所:兵庫県姫路市山田町南山田25-1(字 池田)
駐車場:なし
慶長11(1606)年、主君・黒田長政との折り合いが悪くなった後藤又兵衛は領地の筑前を退去し各地に移り住んだ後、故郷の播磨に戻った。そして又兵衛は姫路城主・池田輝政の扶持を受けたが、その時に米を耕作していたのが又兵衛田と呼ばれる圃場だと伝わる。
長政が何度も輝政に苦情を申し入れていたため、慶長18(1613年)に輝政が死去し息子の利隆が跡を継ぐと扶持が停止される。1年後、又兵衛は大坂城に入り大坂の陣で戦死したのはあまりにも有名である。
令和元(2019)年に当地で獲れた米を使って山田町と後藤又兵衛顕彰会が作った特別純米酒「山田の又兵衛」が販売されている。
参考文献:毎日新聞「又兵衛の田から純米酒 「戦国感じて」PR 姫路・山田町地区 /兵庫」、姫路市山田町ウェブサイト、大坂の陣 豊臣方人物事典、現地の案内板
感想:特別純米酒「山田の又兵衛」は山田町だから品種が山田錦(酒米として有名)かと思ったらキヌヒカリでした。当然、慶長年間にはキヌヒカリは無かったため別の品種が扶持されています。何だったのかまでは知りませんが。
この田圃の周りだけ字が池田となっており、池田家時代に藩主直轄だったようです。もしかすると扶持米を耕作していたという伝承から字名が付けられたのかもしれませんが。