久々に月山富田城に登ってきた(令和7(2025)年3月10日)

 令和7(2025)年3月10日、講演会『富田城をめぐる攻防と戦国社会』があったため、安来市広瀬町に行った。体調が回復しつつあり多少は動けるようになってきたので月山富田城にも登ってきた。

(千畳平と馬乗馬場の間の谷。ここって圧迫感が強いよね。左右と正面から撃ちまくられそう)
谷

谷

谷

谷

(馬乗馬場、千畳平、山中鹿介幸盛の像。皆さんに七難八苦がありますように・・・🙏)
馬乗馬場

千畳平

山中鹿介幸盛の像

山中鹿介幸盛の像

(花ノ壇)
花ノ壇

花ノ壇

花ノ壇

花ノ壇

(山中御殿と七曲り)
山中御殿

山中御殿

山中御殿

山中御殿

(三の丸、二の丸、本丸)
三の丸、二の丸、本丸

三の丸、二の丸、本丸

三の丸、二の丸、本丸

三の丸、二の丸、本丸

(鹿介桜、阿井の渡しに行く直前みたいになっているのだが・・・。桜に詳しくないが、これで咲くものだろうか)
鹿介桜

(今回、登って気になったのは、各所で石垣や手すりなどが崩れていることだった。毎回、注意深く見ているわけではないので、前からそうだったのかもしれない。そこで、募金をしてきた)
崩れている

崩れている

崩れている

崩れている

(これはいわゆる不敬罪というやつでは・・・。冗談はともかく全景を撮影して講演会の会場に向かった)
像

全景

感想:久しぶりの山城で大変でしたが楽しかったです。一ヶ月以上ほとんど運動ができなかったので、本丸まで往復した後、脚が生まれたての子鹿のようになっていました。



瑠璃山日笠寺(毛利元就が創建したと伝わる寺)

●瑠璃山日笠寺
住所:島根県江津市桜江町谷住郷1646
駐車場:あり

 曹洞宗。本尊は薬師如来像。享和2(1802)年に寺が焼失した際、史料も焼けたため開基の年代や宗派は不明だが毛利元就が瑠璃寺として創建したと伝わる。近世初期、廣山全栄が中興し曹洞宗に改宗したと思われる。文化2(1805)年の本堂再建の際に瑠璃寺から現在の寺号に改められた。
 十一面観音像は子育て観音として信仰されており特に母乳が出にくい母親への信仰が篤かったという。

(竜宮門)
竜宮門

(本堂や鐘楼など)
本堂や鐘楼

本堂や鐘楼

石仏

(本堂に繋がれていた猫)
猫

感想:観音堂は飛騨の匠によって一夜にして建立されたと伝わりますが参拝したのか覚えていないです。
山陰の戦国史跡を歩く 島根編』から割愛した史跡です。



塩冶判官高貞自刃の地(自刃候補地の一つ)

●塩冶判官高貞自刃の地
住所:島根県松江市宍道町宍道(字 大宮田)
駐車場:なし

 室町時代初期、足利尊氏に従っていた塩冶高貞だったが、暦応4(興国2,1341)年に謀叛の疑いをかけられ足利幕府の追討を受けて大宮田で自害する。自害した場所は大宮田の他に同じ宍道町の佐々布山、兵庫県の播磨地方などの説もある。
 昔は当地の水田に竹などを入れると髪の毛がついてくるという伝承があった。これは謀叛の疑いの理由が、高師直が高貞の妻に横恋慕して高貞を亡き者にするため謀叛の疑いをかけ結局は夫婦ともに自害したという『太平記』の記載からきているのだろう。
 昭和の初めまで古い五輪塔が建っていたが、出雲市塩冶町の浄音寺の住職や檀家などによって現在の石碑に建て替えられた。

(全景。当時は気がつかなかったが中央には高貞の妻の西台の顕彰碑もある)
全景

(塩冶判官高貞之碑)
塩冶判官高貞之碑

(塩冶判官高貞公旧跡の碑。平成3(1591)年、高貞没後650年の大法要が出雲市塩冶町の神門寺で行われ、それを主催した塩冶判官高貞公650年祭実行委員会によって建てられた)
塩冶判官高貞公旧跡の碑

参考文献:島根県の地名、宍道町誌、山陰の武将

感想:宍道中学校を通る必要があるため許可をもらって先生に案内してもらいました。