由良比女神社(イカ寄せ伝説の地)

●由良比女神社
住所:島根県隠岐郡西ノ島町浦郷922(字 由良浦)
駐車場:あり

 祭神は由良比女命(ゆらひめのみこと)※1。
 創建年代については伝承によると、神武天皇の時代に由良比女命が柔魚(烏賊。イカ)を持ち、苧桶(おおけ。苧〈からむし、麻の一種〉を入れる桶)に乗って由良浦に着いたのが神社の始まりだという。
 由良比女命が海から由良浦に向かう途中、海中に手を入れて洗っているとイカが手を触ったのを怒り、由良浦に他のイカを引き寄せて打ち上げさせた※2。以降、毎年秋になるとイカの大群が由良浦に押し寄せるようになり、現在でも新暦11月29日には由良比女命が出雲大社からイカに乗って帰ってくるのを迎える御座入祭り(イカ寄せ祭り)が行われている。

 貞観11(869)年に成立の『続日本後紀』に由良比女命の記載があり、官社(神祇官の神名帳に記載され、新嘗祭などを行なった)となっている。延長5(927)年に成立の『延喜式神名帳』にも由良比女神社の記載があり、明神大社で、もとは「和多須神」と称していたという。かつては隠岐国一ノ宮であったと伝わるが、史料は残っていない。
 応永5(1398)年~貞享元(1635)年にかけて、何度も社殿の造営が行われた。だが、その後衰微したらしく『隠州視聴合紀』には「極めて小さく古びており、ほぼ存在しないも同然である。地元でも知る者はいない」という状態だった。明治29(1896)年に社殿を造営するが、明治41(1908)年発刊の『島根県遊覧案内』には「今はひどく荒廃し、わずかに小さな祠があるのみ」とある。

 現在は「イカ寄せ伝説」の地として観光名所になっており、鳥居の前にはイカが押し寄せてくるのを見張る「番小屋」がある。
 社宝として、由良比女命が乗ったと伝わる苧桶、神鏡、奉納された刀があったが、現存しているかは不明である。

※1 祭神については、須世理毘売命(すせりひめのみこと)、綿津見命(わたつみのみこと)、天造日女命(あまのつくりひめのみこと)とする説もある。
※2 イカが手を引っ張るなどのいたずらをした、あるいは苧桶を押して進むのを手伝ったとする伝承もある

(一の鳥居)
一の鳥居

(狛犬)
狛犬

狛犬

(随神門)
随神門

随神門

(二の鳥居)
二の鳥居

(拝殿と本殿。立派な社殿で明治41年には、この状態だったと思うのだが・・・。もしかして『島根県遊覧案内』の著者の奥原碧雲は『隠州視聴合紀』を丸写ししただけではないかと疑ったが、奥原碧雲は『隠岐島誌』や竹島に関する著者があるらしいので、それはないだろう。昭和25年頃の写真を見ると既にこの拝殿だったので、その間に建て直されたのだろうか)
拝殿と本殿

(イカ寄せの浜)
イカ寄せの浜

イカ寄せの浜

イカ寄せの浜

イカ寄せの浜

参考文献:島根県の地名P862、知夫郡浦郷村要録、出雲隠岐の伝説、日本の伝説50 離島の伝説、島根県遊覧案内、懐橘談・隠州視聴合紀、隠岐の島旅

感想:令和7(2025)年2月、19年振りに由良浦に全長20~30センチのマイカの大群が打ち上げられたそうです。(山陰中央新報デジタル)。


宇龍浦(宇龍港、宇龍城。中世の貿易港)

●宇龍浦
住所:島根県出雲市大社町宇龍

 古くから栄え、中世は貿易港として、近世は北前船の風待港になった。

(現在の宇龍港。権現島にある鳥居は熊野神社で、10月の第3土曜日の例祭には一般の男性だけは参拝できる。女性は島への立入が禁忌になっている)
宇龍港

宇龍港

(宇龍港の西にある宇龍城跡)
宇龍城

宇龍城

宇龍城

感想:歴史については『山陰の戦国史跡を歩く 島根編』を参照してください。


三位局屋形跡(隠岐諸島での阿野廉子の屋敷跡)

●三位局屋形跡
住所:島根県隠岐郡西ノ島町別府(字 坪ノ内)
駐車場:なし

 三位局(阿野廉子)は後醍醐天皇の側室で後村上天皇の生母である。元弘2(正慶元,1332)年の後醍醐天皇の隠岐配流に同行して、後醍醐天皇の隠岐配流に同行し、西ノ島の天皇御在所の北に居住した。慶長4年の検地では吉川広家の代官と思われる三郎左衛門の土地となっていた。
 この地は通称「局(つぼね)屋敷」と呼ばれ、字名の「坪ノ内」は「局(つぼ)の内」とも記される。

三位局屋形跡

参考文献:島根県の地名、黒木村誌、隠岐国黒木の遺跡、隠岐西郷町誌、黒木御所

感想:ご覧の通り、竹藪の中にありました。