塩冶神社(塩冶半官高貞を祀る神社)

●塩冶神社(鹽冶神社)
住所:島根県出雲市上塩冶町1749-7
駐車場:有り

 主祭神は塩冶毘古命、塩冶毘売命、他に塩冶判官高貞などを祀る。創建年代は不明だが出雲国風土記の塩夜社として記載がある。塩冶郷の産土神として崇敬され、鎌倉時代以降は当地を治めた塩冶氏の庇護を受けた。
 それは戦国時代になっても変わらず長享5(1487)年に塩冶貞綱(塩冶興久の曾祖父)が土地を寄進している。年不明だが尼子氏家臣の横道久宗、立原幸隆が出雲大社の神職・富氏の神主職を認めている。永禄12(1569)年10月、尼子再興軍の主将・尼子勝久も同様に富氏の神主職を認めた。その後に焼失したため正徳3(1713)年、現在地に再建している。近世まで新八幡宮、神東八幡宮、塩冶八幡宮などと呼ばれたが、明治維新後に現在の社名になった。

(鳥居)
鳥居

(鳥居の横にある大日本帝国万歳の碑)
大日本帝国万歳

(石段)
石段

(随神門)
随神門

(拝殿)
拝殿

(塩冶判官高貞公顕彰の碑)
塩冶判官高貞公顕彰の碑

(地神碑)
地神碑

(稲荷神社)
稲荷神社

稲荷神社

感想:駐車場があまり広くないので行事を行っていると駐められないことがあると思います。





石見二ツ山城(出羽城、出羽氏の居城)

●石見二ツ山城
住所:島根県邑智郡邑南町鱒渕

 戦国時代、毛利元就に従った出羽氏の居城だった。

(田所公民館に展示してあったジオラマ)
ジオラマ

(駐車場から歩いてすぐにある西端の堀切。途中で竪堀になっているが写真では分かりづらいので載せていない)
堀切

堀切

(下の縄張図の(1)の天神丸)
天神丸

((2)の泉水の段。なかなかの切岸で登るのは難しそうだった)
泉水の段

(最高峰の530.8メートルにある西の丸)
西の丸

西の丸

西の丸

(西の丸から南を望む。右に見えるのは破城されたことで有名な本城)
本城

((3)の曲輪)
(3)の曲輪

(3)の曲輪

(3)の曲輪

(3)の曲輪

(3)の曲輪

((3)と(4)の間にある大堀切)
大堀切

大堀切

大堀切

((4)神明の段と(5)舞殿の段)
神明と舞殿の段

神明と舞殿の段

神明と舞殿の段

((6)の馬場)
馬場

馬場

馬場

馬場

(北に出ている(7)の雪隠の段。その先にも遺構があるが急斜面で危険なため行かなかった)
雪隠の段

雪隠の段

雪隠の段

((8)の本丸)
本丸

本丸

本丸

本丸

((9)の駄屋の段。東端の曲輪になる)
駄屋の段

駄屋の段

駄屋の段

((10)の太鼓の段。上記の南にある曲輪群の一つ。土塁があった)
太鼓の段

太鼓の段

太鼓の段

((11)の南出丸。この先にも曲輪が麓まで続くが未整備のため行っていない)
南出丸

南出丸

南出丸

(ずっと西に戻って(12)の殿様池に行く)
殿様池

殿様池

感想:ツアーに参加して案内してもらいました。
 歴史についての詳しいことは『山陰の戦国史跡を歩く 島根編』を参考にしてください。

(縄張図)
縄張図





円通寺(三之瀬城主が創建)

●円通寺
住所:島根県鹿足郡吉賀町福川458

 曹洞宗。弘治元(1555)年、三之瀬城主・斎藤助五郎が同地区内の菅原に江月庵を創建したのが始まりである。天正7(1579)年に助五郎の息子・市郎左衛門が新井ヶ原に移し、正保2(1645)年に円通寺と改名し享保年間(1716~36年)に現在地に移転した。その後、焼失するが再建している。

円通寺

円通寺

円通寺

円通寺

感想:三之瀬城を訪問した際に一緒に参拝しました。時期的に陶晴賢軍との戦いで戦死した城兵を弔うために創建したのかもしれません。