桧ヶ仙城(口羽春良普請の城)

●桧ヶ仙城 (口羽春良普請の城)
住所:島根県出雲市多久町
駐車場:なし
遺構:曲輪、腰曲輪、土塁、堀切
標高:333メートル/比高:230メートル

 多久氏の居城と伝わり雲芸攻防戦で毛利軍に攻撃され落ちたという。尼子再興戦では毛利家の口羽春良が普請し、高瀬城の米原綱寬から攻撃を受ける平田城を援護した。
 
(登山道など)
登山道

登山道

登山道

登山道

(登山道の最後をロープをつたって登ると南の曲輪に出た。主郭は木々に覆われて下が見えないので、眺望は南の曲輪からが一番良く、旧平田市が一望できる)
南の曲輪

南の曲輪

南の曲輪

南の曲輪

(主郭と腰曲輪)
主郭と腰曲輪

主郭と腰曲輪

(北の曲輪群)
北の曲輪

北の曲輪

北の曲輪

北の曲輪

(北西の曲輪群。こっちは土塁もあった)
北西の曲輪群

北西の曲輪群

北西の曲輪群

北西の曲輪群

感想:整備はされていますが急峻な山できつかったです。行った時は動物のフンが道沿いに3ヶ所くらいあったので、単独では危険かもしれません。





真山城(尼子再興軍の拠点)

●真山城
住所:島根県松江市法吉町

 永禄12(1569)年の第一次尼子再興戦で再興軍が拠点とした。

(入口)
入口

(基本的に南から北に細長い曲輪が続く城。北に向かっていると最初の曲輪と思われる場所に着く)
最初の曲輪

最初の曲輪

最初の曲輪

(土橋)
土橋

土橋

土橋

(土橋を過ぎて少し登った場所にある曲輪)
少し登った場所にある曲輪

少し登った場所にある曲輪

少し登った場所にある曲輪

(送電用鉄塔に出た。ここが曲輪だったのか不明)
送電用鉄塔

送電用鉄塔

送電用鉄塔

(山中鹿介の両親説のある相木盛之助と更科姫の供養塔)
山中鹿介の両親

(更に北に進むと本格的な城域に着いた)
本格的な城域

本格的な城域

本格的な城域

本格的な城域

(上記の曲輪から頂上に行く前に南西の曲輪に向かった)
南西の曲輪

南西の曲輪

南西の曲輪

南西の曲輪

(主郭前にある細長い曲輪)
細長い曲輪

細長い曲輪

細長い曲輪

細長い曲輪

(主郭に到着。山中鹿介幸盛公銅像台座(計画は頓挫)は雑草が伸び放題で、雑草大炊之介になっていた)
主郭

主郭

主郭

主郭

(主郭部を更に北に進むと尼子勝久がお出迎えしてくれた)
主郭部の北

主郭部の北

主郭部の北

主郭部の北

主郭部の北

(尼子勝久公之碑に置いてある真山の宝箱。訪問記帳が入っていると思ったら尼子氏関連の史跡に関する印刷物が入っていた)
真山の宝箱

(その更に北にある曲輪を見て真山城は終了。下山した)
北の曲輪

北の曲輪

感想:歴史についての詳しいことは『山陰の戦国史跡を歩く 島根編』を参考にしてください。

(ルートマップ)
ルートマップ





鷹日神社(毛利輝元造営の神社)

●鷹日神社
住所:島根県松江市東津田町1376
駐車場:あり

 祭神は高皇産霊神、天照大神など。出雲国風土記に記載のある多加比社に比定される。斉明天皇7(661)年、日本全国が日照り続きだった時、天皇の夢に実った稲穂を口に咥えて白鷹が出てきた。天皇がどこから来たのか聞くと「出雲の意宇の郡より来た」と返答。夢から覚めると雨が降ったことから天照大神の助けに違いないと考え出雲に使者を送ったところ、森に白鷹がいたため社殿を創建した。
 宮原地区にあったが、天正年間に社領の大半を没収されて現在地に移る。毛利輝元が当社に祈願して勝利したことから天正18(1590)年12月26日に造営を行った(棟札の写し有り)。松江藩主の堀尾氏、京極氏、松平氏も保護を行う。

(一の鳥居)
一の鳥居

(狛犬)
狛犬

(二の鳥居と随神門)
二の鳥居と随神門

随神門

(拝殿)
拝殿

(本殿)
本殿

(神鷹の碑にとまっている鷹のオブジェ)
鷹のオブジェ

感想:輝元は当社の社領を没収したが社殿は保護したということでしょうか。