塩冶判官高貞自刃の地(自刃候補地の一つ)

●塩冶判官高貞自刃の地
住所:島根県松江市宍道町宍道(字 大宮田)
駐車場:なし

 室町時代初期、足利尊氏に従っていた塩冶高貞だったが、暦応4(興国2,1341)年に謀叛の疑いをかけられ足利幕府の追討を受けて大宮田で自害する。自害した場所は大宮田の他に同じ宍道町の佐々布山、兵庫県の播磨地方などの説もある。
 昔は当地の水田に竹などを入れると髪の毛がついてくるという伝承があった。これは謀叛の疑いの理由が、高師直が高貞の妻に横恋慕して高貞を亡き者にするため謀叛の疑いをかけ結局は夫婦ともに自害したという『太平記』の記載からきているのだろう。
 昭和の初めまで古い五輪塔が建っていたが、出雲市塩冶町の浄音寺の住職や檀家などによって現在の石碑に建て替えられた。

(全景。当時は気がつかなかったが中央には高貞の妻の西台の顕彰碑もある)
全景

(塩冶判官高貞之碑)
塩冶判官高貞之碑

(塩冶判官高貞公旧跡の碑。平成3(1591)年、高貞没後650年の大法要が出雲市塩冶町の神門寺で行われ、それを主催した塩冶判官高貞公650年祭実行委員会によって建てられた)
塩冶判官高貞公旧跡の碑

参考文献:島根県の地名、宍道町誌、山陰の武将

感想:宍道中学校を通る必要があるため許可をもらって先生に案内してもらいました。



焼火神社(隠岐島前の航海の安全を守った神社)

●焼火神社(たくひじんじゃ)
住所:島根県隠岐郡西ノ島町美田
駐車場:あり

 祭神は大日霊貴尊(天照大神)で水運の神として崇敬されており、時化(しけ)の際に祈願すると神の導きの光明によって救われるという伝承がある。標高452メートルの焼火山の中腹に建つ。創建年代は西暦1100年頃と伝わり、山全体が信仰の対象だった。隠岐諸島の島前で焼火山が最高峰だったことから、かつては神社の灯を目印として航海や漁が行われている。
 天文9(1540)年に造営を行った。永禄6(1563)年、隠岐幸清が尼子義久の勝利や好まざる者が隠岐に来た際は逆波を受け災難に遭うことなどを祈願して二箇所の田地を寄進している。近世に入ると何度も造営が行われ、焼火山の存在は東北地方にまで知られた。
 近世まで焼火山権現・焼火権現・焼火山雲上寺と称し修験霊場だったが、明治時代になると焼火神社に改称している。
 7月23日の例大祭では隠岐島前神楽(島根県指定無形民俗文化財)が奉納される。本殿・通殿・拝殿及び棟札7枚は国指定重要文化財に指定されている。

(遊歩道(参道)の入口。ここまで車で上がることができる。ここで外国の方向けのツアーガイドが説明をされていた)
遊歩道の入口

(鳥居)
鳥居

(狛犬)
狛犬

(遊歩道沿いにあった神社。何を祀っているのか不明だった)
神社

(石垣と社務所。現在は不在らしい)
石垣と社務所

石垣と社務所

(社殿。扁額は寺だった頃の名残か。拝殿と本殿の向きが違うのも同じく名残だろう)
社殿

社殿

(岩をくり抜いて建てたような本殿は迫力がある。一見の価値あり)
本殿

本殿

(社叢)
社叢

(遭難した船の乗組員の供養碑。日本海を望める場所に建っている)
供養碑

(境内から日本海を望む)
日本海を望む

参考文献:島根県の地名、島根県史 第7巻、焼火神社公式サイト西ノ島町観光協会しまね観光ナビ

感想:電動自転車で坂をひたすら登りました。この時ほど電動自転車の有り難みを感じたことはなかったですね。ただ頑張った甲斐があって絶景と見事な社殿が見られました。皆さんも是非、自分の目で見てください。



出雲 稲葉城(観音山城。尼子氏に味方した土豪の城ヵ)

●出雲 稲葉城(観音山城。尼子氏に味方した土豪の城ヵ)
住所:島根県松江市西尾町
駐車場:なし
遺構:曲輪、土塁、掘切、竪堀、井戸跡
標高:70メートル/比高:49メートル

 城史は伝わっていない。稲葉城は字名から付けられたため当時の名前は不明である。和久羅城の西に1キロの通称・観音山にある。『岩穴平遺跡・稲葉城跡』には尼子氏に味方した土豪の城だろうとの記載がある。

(入口)
入口

(登ると出てくる曲輪1。場所は下にスクロールすると記載のある概略図を参照)
曲輪1

曲輪1

(曲輪1の西の竪堀)
西の竪堀

(曲輪1の東の竪堀)
東の竪堀

(曲輪1の北側には祠と燈籠の残骸があった。これが祀られていたことから近世以降に観音山と呼ばれるようになったのだろう。石があったが、これも祠に関係したものだろうか)
曲輪1の北側

曲輪1の北側

曲輪1の北側

(曲輪2の南にあるAの土塁)
Aの土塁

(曲輪2には中国電力の鉄塔が建っている。ここが主郭だろう。入口の道も鉄塔の管理のために作られた)
中国電力の鉄塔

中国電力の鉄塔

(曲輪2の奥に進むと土塁Bが残っている)
曲輪2の奥

曲輪2の奥

曲輪2の奥

(曲輪3。櫓台にしては小さいか。井戸もあった)
曲輪3

曲輪3

(曲輪3と曲輪4の間にある掘切C)
掘切C

掘切C

掘切C

(曲輪4。北には土塁Dがあった)
曲輪4

曲輪4

曲輪4

曲輪4

(曲輪4の西側にある尾根。荒れていたので少ししか行っていない)
尾根

(Eの掘切? 竪堀?)
Eの掘切

参考文献:岩穴平遺跡・稲葉城跡、隠岐の山城・続出雲の山城

感想:この道はカーブしていて交通量も多いため歩く際は轢かれないように気をつけましょう。昭和55年、中国電力が鉄塔を建てるにあたって発掘調査をした際、曲輪2から陶磁器、かわらけ、砥石、鉄釘、古銭が発見され、柱穴群、礎石群が見つかったそうです。
 観音山城は私が勝手に付けた名前で誰も呼んでいないです。

(概略図。クリックすると別タブが開きます)
概略図