竜峰山海翁寺(阿川毛利氏の菩提寺)

●竜峰山海翁寺
住所:山口県下関市豊北町阿川511-1
駐車場:あり

 曹洞宗。本尊は釈迦牟尼佛。大内氏の家臣・秋枝肥後守興虎が山口市にあった国清寺で出家し、大永元(1521)年に現在地に浄空庵を創建したのが始まりと伝わる。慶長16(1611)年、毛利元就の九男・秀包が亡くなると息子で当地の領主だった元鎮が浄空庵跡に菩提寺を建て黄竜山江見寺と称した。
 寛永2(1625)年、移封された元鎮に替わって毛利元景が領主となる。元景の前領地の玖珂村には、元氏が吉川元春(元氏の父、元景の祖父。戒名・随浪院殿海翁正慧大居士)の菩提を弔うため海翁寺を建立しており移封の際に江見寺のある当地に移転した。以降は阿川毛利氏の菩提寺となり領地の寄進や再建が行われるなど庇護を受ける。昭和14(1939)年、本堂が焼失したが再建された。

(山門)
山門

(鐘楼門。海翁寺には広島県安芸高田市の郡山城下にあった満願寺の梵鐘があり、それがここにあると思われる。市指定有形文化財の梵鐘は毛利輝元が鋳造させ、毛利氏の本拠地移転に伴って広島城下→萩城下に移った後、明治維新後に海翁寺に移されたという)
鐘楼門

(本堂)
本堂

参考文献:山口県の地名、豊北町史、豊北町史2

感想:周りの道が狭くて運転に苦労した記憶があります。



阿川毛利家墓所(下関市豊北町)

●阿川毛利家墓所(下関市豊北町)
住所:山口県下関市豊北町阿川
駐車場:なし

 吉川元春の次男・元氏を祖とし長州藩の一門家老だった阿川毛利家の墓所である。ただし5代目までは別の場所に葬られたため、6代目からである。

(入口)
入口

(墓に向かう途中にある郷校・時習館址の碑。郷校とは地方の私学校で宝暦3(1753)年に毛利広漢が建てた。この近くに阿川毛利館跡があるのだが見つけられなかった)
時習館址の碑

(墓所の様子。誰の墓か標柱があり確認しやすい)
墓所の様子

墓所の様子

墓所の様子

(墓所から阿川浦がよく見える)
阿川浦

参考文献:山口県の地名、豊北町史2、現地の案内板

感想:自分が参拝した後の2023年に萩に葬られていた毛利親彦の墓もここに移転されたそうです。



万松山正護寺(陶氏館跡)

●万松山正護寺(陶氏館跡)
住所:山口県山口市陶郷上3907
駐車場:境内に駐車可?

 臨済宗東福寺派。延文年間(1356~61年)、当地を治めていた陶弘政が居館のそばに祈願所として創建した。その時は曹洞宗で、陶氏や大内氏の庇護もあり栄えたが厳島の戦い後に毛利元就が両氏を滅ぼすと衰微する。のちに毛利氏が再興したが永禄12(1569)年の大内輝弘の乱で兵火により焼失。しばらく再建されなかったが、江戸時代初期に地元出身の大円恵満が移転し現在地に再建した。
 陶氏は大内氏の庶流で当地を領して居館を構え陶氏を称した。その後、陶氏は周南市富田に拠点を移している。

(山門。小郡代官所の正門を移築したもの)
山門

山門

(本堂。前は塀で囲われていたのか?)
本堂

本堂

(陶氏の二代目・弘政の墓(中央))
弘政の墓

(陶晴賢の墓)
陶晴賢の墓

(陶晴賢250回忌に建てられた供養塚)
供養塚

(寺の前にある陶氏居館跡)
陶氏居館跡

陶氏居館跡

陶氏居館跡

感想:居館の遺構はないと思っていたが、後で調べたら土塁があったらしい。無念・・・。