周防長山城(毛利氏の城)

●周防長山城
住所:山口県山口市亀山町8
駐車場:あり
遺構:濠?
標高:66メートル/比高:33メートル

 築城年代は不明。天正16(1588)年、毛利輝元が仁保元忠を城番に命じた。慶長元(1596)年、毛利秀元が城主となり修築を開始したが、関ヶ原の戦い後に長府に移封されたため廃城になったようである。
 明治22(1889)年、伊藤博文ら長州藩士によって城址に毛利敬親銅像建立が立案され全体が公園化された。

(全景。ただの公園で城だった雰囲気は高台にあるくらい)
全景

(毛利敬親公之像)
毛利敬親公之像

(公園から見た瑠璃光寺五重塔)
瑠璃光寺五重塔

(昭和19(1944)年に金属供出で毛利元徳の像などが撤去され、台座だけがいくつか残っている)
台座

(大内義長裁許状。ザビエルが義長と謁見した際、与えた教会建立の裁許状を写した本から、更に写し取って碑にした)
大内義長裁許状

感想:山口県立美術館の池が濠の跡らしいのですが見てないです。
 訪れた日が8/6で南に建つ山口ザビエル記念聖堂から広島の方への鎮魂のために大きなサイレンが鳴ったのを覚えています。





築山館跡(築山神社、八坂神社)

●築山館跡(築山神社、八坂神社)
住所:山口県山口市上竪小路100
駐車場:あり

 15世紀中期、大内教弘の代に勢力が広がり、大内氏館では役人の数が増えて手狭になったため、政務を執るための別館として築いたという(短期間だけ居住地としていたいう説もある)。宗祇などの文化人が滞在している。
 跡地に建つ八坂神社は応安2(1369)年、大内弘世が京都の八坂神社から勧請した。創建時の社地は不明だが、その後移転を繰り返し、元治元(1864)年に毛利敬親が現在地に移転している。
 同じく跡地に建つ築山神社は教弘を築山大明神として祀ったのが始まりである。大内氏歴代当主、毛利元就や輝元の崇敬を受けていたが、やがて廃社となった。明治2(1869)年、興隆寺にあった東照宮が移され築山神社とされる。現在の主祭神は大内義隆で、他に大内氏歴代当主や徳川家康などを祀っている。

(館跡の碑)
館跡の碑

(大内氏月見之松記念碑)
大内氏月見之松記念碑

(館の土塁(築地)。祇園会などの祭りの際に登って見学する者もいたため禁制が出ている)
土塁

土塁

土塁

(八坂神社)
八坂神社

八坂神社

八坂神社

八坂神社

(築山神社)
築山神社

築山神社

(市川元教の墓。元教の父・経好は毛利氏の家臣で山口奉行のトップだった。天正6(1578)年に大友宗麟と内通して謀叛を企てるが、経好に露呈し殺害されている。以前は土塁の上にあったが平成30(2018)年に整備のため、現在地に移された。後ろの石は庚申塔などで元教とは関係がない)
市川元教の墓

市川元教の墓

(整備中の築山跡。八坂神社の鳥居の向かいには駐車場も出来て見学しやすくなった)
築山跡

感想:大内氏館跡と同じく整備が進んでおり今後が楽しみです。





大内氏館跡(龍福寺)

●大内氏館跡(龍福寺)
住所:山口県山口市大殿大路117-61
駐車場:あり

 正平15年(1360)頃、大内弘世が大内御堀から当地に館を移し領地の政治・経済の中心とした。
 大内氏滅亡後の弘治3(1557)年、毛利隆元が山口市白石にあった竜福寺を館跡に移し大内義隆の菩提寺とする。その堂宇は明治14(1881年)に焼失したが、のちに再建された。現在は館の復元整備がされている。

(山門と参道)
碑

山門

参道

(豊後石。館に築庭した岩は全て豊後から持ってきたものだったが雨の夜になると「豊後に帰りたい」と泣いていたという)
豊後石

(大内氏の始祖で星の王子様である琳聖太子から大内義隆までの歴代当主を祀る宝霊神社。大内義長は当主として数えられてないようだ)
宝霊神社

(大内義隆主従の供養塔)
大内義隆主従の供養塔

大内義隆主従の供養塔

大内義隆主従の供養塔

(龍福寺本堂)
龍福寺本堂

龍福寺本堂

(龍福寺資料館前にある大内義興像。中国地方内で台頭し調子こいていた尼子経久を懲らしめている)
大内義興像

大内義興像

(資料館内にあった人形。大内義隆、毛利元就、毛利隆元だと思うが忘れた。お賽銭がたくさんあった)
人形

人形

(枯山水庭園跡と復元された池泉庭園)
庭園

庭園

(復元された土塁)
土塁

土塁

土塁

(復元された西門)
西門

感想:1度目は整備前、2度目は整備後に行きましたが、すっかり変わっていました。こういった整備なら歴史好きの方からも満足されると思います。