山口ザビエル記念聖堂(サビエル像)

●山口ザビエル記念聖堂
住所:山口県山口市亀山町4
駐車場:あり

 天文20(1551)年、山口を再訪したフランシスコ・サビエルは当地の大名だった大内義隆の許可をもらい大導寺で布教活動を開始した。しかし毛利元就や豊臣秀吉、江戸幕府によるキリスト教への迫害があり長く禁教とされる。
 明治維新後にキリスト教が許され明治21(1888)年には大導寺跡と思われる場所に教会が建てられた。昭和27(1952)年、現在地に移転するが、平成3年(1991年)に焼失する。平成10(1998)年に再建され現在に至る。

(再建された記念聖堂)
記念聖堂

(キリストらしい)
キリスト

(キリスト生誕2000年を記念して鋳造された大聖年の鐘)
大聖年の鐘

(井戸端で説教をするザビエル像)
ザビエル像

感想:毛利元就がキリスト教を迫害していたのは初めて知りました。
 通常は内部の見学が可能なのですが、今はコロナ禍で閉館しているようです。





周防若山城(陶氏の居城)

●周防若山城
住所:山口県周防市福川
駐車場:一応あり
遺構:曲輪、畦状竪堀、石垣、空堀、など
標高:217メートル

 大内氏の重臣だった陶氏の居城。文明2(1470)年頃に築城されたと推測されている。弘治元(1555)年の厳島の合戦で毛利元就に陶晴賢が討ち取られると、晴賢に殺された杉重矩の息子・重輔が当城を奪いとった。晴賢の息子・長房は落ち延びるが討ち取られてしまう。その後、陶氏の残党が城を奪い返したが、やがて毛利軍の手に落ち廃城となった。

(入口の碑と階段。情熱が溢れすぎである)
入口の碑と階段

入口の碑と階段

(二の丸・三の丸跡、周防灘、周南市の町並み)
二の丸・三の丸跡

二の丸・三の丸跡

周防灘と周南市の町並み

(東から西に続く曲輪群)
東から西に続く曲輪群

東から西に続く曲輪群

東から西に続く曲輪群

(おそらくこの城の一番の見所、畦状竪堀群)
畦状竪堀群

畦状竪堀群

畦状竪堀群

畦状竪堀群

(本丸。石鎚神社が勧請してある)
本丸と石鎚神社

本丸と石鎚神社

本丸と石鎚神社

本丸と石鎚神社

(本丸に海軍省の碑があるのだが読めない。徳山要港・・・? SNSで「徳山要港境域標」というものだと教えてもらった)
軍省の碑

軍省の碑

(本丸から見た周防灘と周南市の町並み)
周防灘と周南市の町並み

(武将道を下って更に西の曲輪へ。武将道って何? ちなみにこの道も曲輪である)
武将道

武将道

武将道

(西の丸跡)
西の丸跡

西の丸跡

西の丸跡

(最西端の曲輪・蔵屋敷跡)
蔵屋敷跡

蔵屋敷跡

(本丸の北にある横堀)
横堀

横堀

感想:車で簡単に城域まで行けますが、車道は狭いです。





山口県史跡巡り2009(4日目:杉元相の墓・清水宗治の供養塔・吉川広家の墓)

 平成21年1月1日(木)、あけましておめでとうございます。本年も元旦から史跡巡りです。まずは周南市の残りの箇所を廻る。
39.興元寺・・・周南市徳山にある。大内家の重臣でのちに毛利家に臣従した杉元相が1574年に建立した。ここには元相と息子・元宣の墓がある。
 元宣に関しては次のような逸話がある。元宣の妻に横恋慕した毛利輝元の気持ちを知った家臣が元宣の不在中に妻を安芸吉田に強引に連れてきた。それを知った元宣が取り返そうと安芸に向かったが、途中で刺客に殺されてしまう(ネットだと秀吉に訴えようと大坂に向かう途中、小早川隆景によって殺されたと書いてあった)。
 その後、元宣の霊が吉田郡山城や広島城に現れて人々を悩ませたという。大内氏の旧臣と毛利一族及び毛利家の家臣の不和から起きた事件が、このような逸話を生んだという説もある。
 その元宣の妻だが、輝元の側室となって毛利家を継いだ毛利秀就らを生んでいる。

40.周慶寺・・・下松市大字西豊井にある。上記の興元寺の項に出てきた元宣の妻(二の丸)の菩提寺。
 大内家先祖の供養塔や昭和に亡くなられた毛利さんのお墓と同じ敷地に何も書いていない(もしくは風雨で読めなくなった)供養塔のようなものがあった。二の丸さんと何か関係があったかもしれないが良く分からなかった。

41.清鏡寺・・・光市浅江にある。備中高松城主・清水宗治の息子である景治が建てた供養塔がある。寺には宗治の乗鞍、備中高松城の陣鐘もある。
 宗治の甲冑が光市文化センターにあるようだが、元旦に開いている訳がないので行かなかった。

42.千人塚・・・岩国市玖珂町上市にある。毛利軍の防長侵攻の際に鞍掛城主・杉隆泰は果敢に抵抗した。その際、杉軍の兵・約1400人が亡くなったという。それを供養するための塚がこれである。
 場所が分かりづらそうだったので結構迷うかと思っていたが、丁寧に案内板があって容易に辿り着けた。鞍掛城は体調が万全でないこともあってやめておいた。
(千人塚。後ろに見えるのが鞍掛城跡)

43.祥雲寺・・・岩国市駅通にある。鞍掛城主・杉隆泰とその父・貞泰の墓(供養塔のようだったが・・・?)がある。
 この辺りは昔、仕事で来たことがあったが、まさかもう一度来ることになるとは思わなかった。あの頃、史跡にあまり興味が無かったからなあ。

44.岩国城・・・岩国市横山にある。説明は・・・もういいや。
 錦帯橋に来たのは4度目くらい。岩国城まで登ったのは2度目かな。ここに来たのは岩国城を撮り直したいというのもあったが、一番の目的は吉川広家さんのお墓に行くこと。以前から行ってみたかった場所で「岩国市内にあるんだろうな」とは思っていたが、まさか岩国城の麓にあるとは思っていなかった。全体図の中にもちゃんと書いてあったのに、まったく気がつかなかった。
 公園内を散歩した後、吉川家墓所に行き、そしてロープウェーで岩国城に登るというお決まりのコースを廻って帰った。
 吉川家墓所は歴代藩主が平地にあるのに対し、広家の墓だけ高い位置にあった。やはり別格なんだな。




 まだまだ時間があったけど廻るところもないし、本調子じゃなかったので、レンタカーを返した後、ホテルにチェックインして正月番組を見て寝た。
感想:山口県は山陰・山陽側共に史跡が点在しているのでコースを考えるのに苦労した。島根県や高知県だと海岸沿いに行けば、大体有名どころの史跡に行けるので分かりやすいのだが・・・。最終日は時間が余ったけど、体力回復にちょうど良かったので、上手く組めた方かな。
 山口県はこれで終わりですが、史跡巡りはまだまだ続きます。

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