麻羅観音(大内義隆の末子を弔う祠)

●麻羅観音
住所:山口県長門市俵山
駐車場:あり

 天文20(1551)年、陶晴賢の反乱で大内義隆が自害し、長男の義尊も殺される。末子の歓寿丸は女装して当地の山中に隠れていたが、翌年の春に見つかって殺され男性である証拠として男根を切られ持っていかれた。
 その後、地元の人達は歓寿丸を哀れみ菩提を弔うため祠を建てている。現在は子孫繁栄、精力増強、良縁、恋愛成就、夫婦円満などに御利益があるとされ多数の参拝者が訪れている。

(駐車場の看板)
看板

(六地蔵・・・かな?)
六地蔵

(英語とハングルの解説もある。海外の方も参拝に来るのだろうか)
解説

(男根のオブジェ。この頭をなでながら願い事を言うと御利益が増すとのこと)
オブジェ

(歓寿丸を弔っている祠)
祠

(願いを成就させるために男根を奉納する場所のようだ)
男根を奉納

感想:珍スポット扱いされていますが、悲しい伝説のある祠です。


鞍掛山城(杉治部大輔隆泰の城)

●周防鞍掛山城
住所:山口県岩国市玖珂町谷津
駐車場:西側登山口は駐車場あり、東側登山口は住宅街で駐車スペースなし
遺構:曲輪
標高:240メートル/比高:170メートル

 杉治部大輔隆泰の城だった。隆泰は大内義隆に仕え、陶晴賢の反乱(大寧寺の変)後は、大内義長に仕える。厳島の戦いで晴賢が敗死すると一旦は毛利元就に降ったが、密かに義長に毛利氏の動向を知らせた。そのことが毛利氏に知られ吉川元春・小早川隆景ら2万(数には諸説あり)の軍勢に攻められ落城し隆泰も戦死している。

(古戦場鞍懸城址の碑)
古戦場鞍懸城址の碑

(曲輪と展望台)
曲輪と展望台

曲輪と展望台

曲輪と展望台

(展望台から西を望む。地図を見れば分かるが山に囲まれた盆地に街が形成されている)
展望台から西を望む

感想:東側から登ったために駐車場がなく苦労しました。西側だと駐車場がある上にすぐに主郭に着けるので、そちらがオススメです。


薬師山祥雲寺(杉治部大輔隆泰の墓)

●薬師山祥雲寺
住所:山口県岩国市玖珂町805
駐車場:?

 曹洞宗。もとは同市の玖珂町谷津の寺ヶ浴にある臨済宗の寺で、当地区にある鞍掛山城の城主だった杉氏の菩提寺だった。末寺や塔頭も多く大寺院だったが、弘治元(1555)年に鞍掛山城が毛利軍に落とされ杉氏が滅亡すると大檀那を失って衰微し近世には建物が消失し石垣だけになってしまう。
 慶安年間(1648~1652年)、岩国を支配していた吉川氏の援助を受けて末寺の城泉寺が再興し祥雲寺の本尊の薬師如来を有した。元禄14(1701)年、現在地に移転。元文4(1739)年、寺号を本寺だった祥雲寺に改める。

(入口と本堂)
入口と本堂

(境内にある秋葉神社)
秋葉神社

(杉治部大輔隆泰と父・土佐守貞泰の墓(供養塔?))
杉治部大輔隆泰と父・土佐守貞泰の墓

感想:この辺りは住宅街で車で入るには注意が必要です。ちなみに杉氏の墓は2009年に撮影のもので今は周りに一般の方の墓地が建っています。