周防千葉城(宇賀島衆の拠点の一つ)

●周防千葉城(せんばじょう)
住所:山口県熊毛郡上関町室津(字・千葉)
駐車場:鳥居の前に駐車スペースあり
遺構:なし
標高:110メートル/比高:31メートル

 築城年代は不明だが瀬戸内海の海賊・宇賀島衆の山城だった。瀬戸内海に突き出ており対岸の平郡島などが一望できる位置にある。周防を支配していた大内氏が戦功で海賊の村上氏に当地を与えたことにより、上関周辺の海では宇賀島衆と村上氏が争っている。弘治元(1555)年の厳島の合戦で陶晴賢に味方したため宇賀島衆は没落し当城も廃城になった。城址には千葉稲荷神社が建っている。

(鳥居)
鳥居

(参道)
参道

(奉納された鳥居)
鳥居

(急な石段が続く。途中、曲輪群のように見える場所があったが・・・)
石段

石段

石段

(千葉稲荷神社)
千葉稲荷神社

千葉稲荷神社

(神社から東を望む。中央に見えるのは下荷内島。木が無ければ本文に書いたように平郡島も見えたのだが)
瀬戸内海

感想:稲荷神社が曲輪を利用して建てられたのかもしれませんが山口県教育委員会の報告書では消滅したとなっています。



戦場ヶ原(大内氏・毛利氏古戦場)

●戦場ヶ原
住所:山口県山口市江崎
駐車場:なし

 永禄12(1569)年、周防に上陸した大内輝弘軍とそれを迎え撃った毛利軍との古戦場の一つと伝わる。

(新しい標柱があった)
標柱

(今は空き地になっているらしい)
空き地

(隣にあるショッピングまるき嘉川店)
まるき嘉川店

感想:標柱があるとは思いませんでした。



錦城山勝栄寺(勝栄寺土塁)

●錦城山勝栄寺
住所:山口県周南市中央町3-10
駐車場:不明

 南北朝時代後期(1370年前後)に、開基を其阿(ごあ)として当地を支配した大内氏の重臣・陶弘政が創建した。南朝方の大内氏は北朝方との戦いに備えるため境内に土塁を巡らせている。
 弘治3(1557)年、毛利元就は防長の敵対勢力を排除するため当寺に本陣を置いて息子の毛利隆元、吉川元春、小早川隆景に宛てた三子教訓状を認(したた)めたと伝わっている。

(毛利元就公 教訓状発祥の地の碑)
教訓状発祥の地

(太閤松。朝鮮出兵の際、当寺を陣営にした際に植えたと伝わる。昭和55(1980)年の台風で倒れ切り株のみが残っている。らしいが、切り株が分からんかった)
太閤松

(庄ノ江森大明神)
庄ノ江森大明神

庄ノ江森大明神

(山門)
山門

(市指定文化財の板碑)
市指定文化財の板碑

(明治時代の俳人・花田長兵衛の墓)
花田長兵衛の墓

(本堂)
本堂

(土塁。以前は境内全体を囲っていたが今は西側半分が残っている)
土塁

土塁

土塁

土塁

土塁

参考文献:山口県観光サイト、周南市公式サイト、山口県中世城館遺跡総合調査報告書 -周防国編-、現地の案内板

感想:2009年に行った時は城に興味がなく土塁を適当に見て帰ったので今回はじっくりと見てきました。