周防別所城(毛利軍駐屯の城)

●周防別所城
住所:山口県周南市上村(字別所城山)
駐車場:なし
遺構:曲輪、土塁、竪堀、堀切、切岸
標高:179メートル/比高:140メートル

 北以外の麓には川曲川が流れており天然の濠となっている。その三方は急峻な地形となっているが、北のみが尾根続きになっている。
 築城年代は不明だが辺坂兵部正勝成の居城だったと伝わる。弘治3(1557)年、大内氏の遺臣が大内義隆の息子・問田亀鶴丸を担ぎ上げ障子ヶ岳城で蜂起した際、当城に毛利軍が入っている。

(南東から主郭に続く曲輪群)
南東

南東

南東

南東

南東

南東

南東

(主郭。下の縄張図の曲輪Ⅰにあたる。北には土塁があった)
主郭

主郭

主郭

(主郭から東の曲輪Ⅲに続く曲輪)
東の曲輪Ⅲ

東の曲輪Ⅲ

東の曲輪Ⅲ

(曲輪Ⅲ)
曲輪Ⅲ

曲輪Ⅲ

曲輪Ⅲ

(曲輪ⅢとⅡの間にある広い平削地。縄張図にはないが兵の駐屯所のように見える)
駐屯所

(曲輪Ⅱ)
曲輪Ⅱ

曲輪Ⅱ

(曲輪ⅠとⅡの東にある曲輪)
曲輪ⅠとⅡの東にある曲輪

(曲輪Ⅱの東にある竪堀)
竪堀

竪堀

(曲輪Ⅱの北西は尾根続きのため三重の堀切と切岸で守りを固めている。この城の一番の見所。写真では伝わらないが堀切から曲輪Ⅱに行くための切岸は現在でも急斜面で、かなり慎重に上り下りをした)
堀切

堀切

堀切

堀切

堀切

感想:以前は城の南側から城域に行くことができたようですが、現在は地元の方が害獣除けの柵を立てておられ侵入禁止になっています。下のマップにあるように南西から墓地~鉄塔への道を進み、そこから尾根沿いに進めば柵がありません。登山アプリの操作ミスで若干ルートがずれていますが参考にはなると思います。

(縄張図)
縄張図




貞昌寺(宍戸家の菩提寺)

●貞昌寺
住所:山口県周南市小松原2809
駐車場:あり

 山号は久岳山。曹洞宗。当地を治めていた宍戸家の菩提寺で五~十代当主の墓があり、鎌倉時代に活躍した初代の宍戸家政(八田知家の四男)から慶応3(1867)年に亡くなった元礼までの位牌が安置されている。

(入口。ここの道は狭いので高速道路を潜る北西の道から境内に向かう方が安全である)
入口

(山門。この辺りは大内氏時代の三岳ヶ城の大手門があった場所で寺の石垣は遺構らしい)
山門

山門

(鐘楼)
鐘楼

(本堂)
本堂

(宍戸家墓所。宍戸元続の次女で吉川元長の妻だった女性の墓も建っていた)
宍戸家墓所

宍戸家墓所

宍戸家墓所

宍戸家墓所

感想:宍戸家墓所(近世の初代~四代)を廻っていたらカーナビにこの寺が表示されたので「宍戸家と関係があるかも」と思い参拝したらあたっていました。



大内義隆卿之墓(長門市俵山)

●大内義隆卿之墓
住所:山口県長門市俵山
駐車場:なし

 天文20(1551)年、大内義隆は陶晴賢に反乱を起こされ逃げることができなくなると長門市の大寧寺に入って自害して果てた。家臣の鷲頭某や片山某は、義隆の遺体が陶軍の兵士に奪われることを恐れ当地に葬って墓守として居住する。今でも後裔が住んでいるという。
 同地区にある西念寺は深川六郎左ヱ門が義隆の守本尊を安置して大内氏の菩提を弔うために創建したという。

大内義隆卿之墓

大内義隆卿之墓

大内義隆卿之墓

大内義隆卿之墓

感想:車で走っていたら看板があったので参拝しました。