日置八幡宮(大内家、毛利家、吉川家ゆかりの神社)

●日置八幡宮(へきはちまんぐう)
住所:山口県長門市日置上5212
駐車場:あり

 祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后。古くは亀山八幡宮と呼ばれていた。創建年代は不明だが鎌倉時代以前だと考えられている。日置庄(長門市日置地区一帯)の鎮守社で宮司は日置氏だったが、建保7(1219)年の源実朝の暗殺に加担して窪田姓に変えて没落し、源包房(現在の宮司の高山家の祖)に代わったという。天福元(1233)年、弘安5(1282)年、応永2(1395)年に地頭が造営した。他にも永正6(1509)年や永禄2(1559)年などに造営されている。
 戦国時代になると大内家、毛利家の庇護を受け、天正9(1581)年には毛利輝元や河副壱岐守善勝らの尽力で神楽殿が造営された。寛永12(1635)年2月には吉見、粟屋、桂、宍戸など毛利家臣が大破した社殿を修復するため銀を寄付している。同月、岩国藩主・吉川広嘉が美祢郡嘉万村(現在の美祢市秋芳町嘉万)の権現山で狩りをしていると山が震動し白髪の老人が二頭の鹿に乗って現れ、皆が正気を失った。しばらく夢心地だったが正気に戻ると広嘉は「この辺りに大社はないか」と周りに訪ね、日置八幡宮のことを聞くとそちらに向かって祈念したところ震動が納まった。その後、広嘉は日置八幡宮に参拝し腰に差していた脇差しと刀、銀10枚を寄進している。
 社宝として「日置八幡宮文書付棟札 紙本着色八幡縁起絵巻(県指定有形文化財)」などがある。
 式年祭では同地区の黄波戸浦で黄色(黄金)の波が起きて岩の上に神霊が現れ、そこから現在地に鎮座したという伝承から、神輿の海上渡御が行われる。

(鳥居。ネットで検索したら、これは三の鳥居で西に向かうと二つの鳥居があったらしい)
鳥居

(石燈籠)
石燈籠

(拝殿)
拝殿

(境内社の八坂神社)
八坂神社

(幣殿と本殿)
幣殿と本殿

(三界万霊塔)
三界万霊塔

参考文献:山口県の地名、山口県の歴史散歩、大津郡志、防長風土注進案 第18巻

感想:有名なので参拝しましたが、後で調べたら上記のような興味深い伝承の残る神社でした。



竜光山遍明院(大内氏の菩提を弔うための寺)

●竜光山遍明院
住所:山口県山口市秋穂東6534
駐車場:あり

 真言宗。永禄5(1562)年、大内氏の旧臣で当地を治めていた秋穂飛騨守盛治が父母、大内政弘、義興、義隆の菩提を弔うため建立したという。創建当初は盛光院と称していたが、毛利輝元の妻の法名である清光院と同音のため遍明院に改めた。寺宝に県指定文化財の紺紙金泥法華経などがある。

(石段)
石段

(延命地蔵)
延命地蔵

(本堂。当寺には大内氏の位牌があるとのことだが、ここに安置されているのだろうか)
本堂

(さざれ石)
さざれ石

(開山堂。天明3(1783)年、当時の住職だった性海が四国八十八ヶ所を廻り、各寺の砂を秋穂地区などに撒いた。それをきっかけに秋穂八十八ヶ所霊場が整備される。ここには性海と四国八十八ヶ所に同行した善心の像が安置されている)
開山堂

感想:特にないですねえ・・・。



古熊神社(大内弘世勧請の神社)

●古熊神社(ふるくまじんじゃ)
住所:山口県山口市古熊1丁目10-3
駐車場:あり

 祭神は菅原道真・菅原福部童子(道真の子)。応安6(文中2,1373)年、大内弘世が京都の北野天満宮を勧請し山口井筒屋の辺りに創建した。社伝では福部童子が父を追いかけて太宰府に行く途中、山口で亡くなり甘露院に祀られていたのを勧請した北野天満宮に移して北野天神山口大神宮と称したという。
 元和4(1618)年、長州藩主・毛利秀就が神託に従って現在地に移し今天神と称した。明治3(1870)年、現在の社号となる。社宝に永享元(1429)年、大内盛見が京都から帰国する際、惟肖得巖に依頼した賛がある紙本墨画天神図などがある。

(石段と鳥居)
石段と鳥居

鳥居

(拝殿。国指定重要文化財で、楼門で入母屋造、左右に切妻造の両翼がついている)
拝殿

拝殿

(幣殿)
幣殿

(本殿。天文16(1547)年に建てられたと考えられており、三間社入母屋造である。こちらも国指定重要文化財)
本殿

本殿

(放生池)
放生池

放生池

(三森神社。祭神は柿本人麻呂など。身体健全や脱腸封じの御利益があるらしい)
三森神社

(金刀比羅神社。初代山口市長・八木宗十郎の願いで建立された)
金刀比羅神社

(境内にある狛犬、神馬、使いの牛)
狛犬

神馬

神馬

牛

感想:拝殿が格好良かったです。