筑後守 について

過去の著書 ○もっと知りたい! 長宗我部元親 ○戦国武将の意外な関係 ○「戦国合戦」 意外・驚きエピソード ○大坂の陣・なるほど人物事典

麻羅観音(大内義隆の末子を弔う祠)

●麻羅観音
住所:山口県長門市俵山
駐車場:あり

 天文20(1551)年、陶晴賢の反乱で大内義隆が自害し、長男の義尊も殺される。末子の歓寿丸は女装して当地の山中に隠れていたが、翌年の春に見つかって殺され男性である証拠として男根を切られ持っていかれた。
 その後、地元の人達は歓寿丸を哀れみ菩提を弔うため祠を建てている。現在は子孫繁栄、精力増強、良縁、恋愛成就、夫婦円満などに御利益があるとされ多数の参拝者が訪れている。

(駐車場の看板)
看板

(六地蔵・・・かな?)
六地蔵

(英語とハングルの解説もある。海外の方も参拝に来るのだろうか)
解説

(男根のオブジェ。この頭をなでながら願い事を言うと御利益が増すとのこと)
オブジェ

(歓寿丸を弔っている祠)
祠

(願いを成就させるために男根を奉納する場所のようだ)
男根を奉納

感想:珍スポット扱いされていますが、悲しい伝説のある祠です。


腹切り岩(高橋興光自害の地)

●腹切り岩
住所:島根県邑智郡邑南町阿須那2664-3(軍原キャンプ場)
駐車場:軍原キャンプ場の駐車場を利用

 享禄3(1530)年、石見藤掛城主・高橋興光は備後に攻め込み出羽川に沿って帰陣の最中、毛利元就にそそのかされた同族の高橋盛光に軍原(いくさばら)で攻撃され、抵抗するが遂にこの岩の登り切腹したという。

(出羽川)
出羽川

(全景。右前にあるのが興光が鎧を掛けたという鎧掛けの松)
腹切り岩

(腹切り岩)
腹切り岩

感想:軍原キャンプ場が水害で一時閉鎖していましたが、令和4(2022)年に入れるようになったため行ってみました。高橋氏の滅亡の過程が史実と違い、滅亡した年も諸説ありますが、ここでは伝承通りに載せておきます。
 山陰の戦国史跡を歩く 島根編から割愛した史跡です。





鞍掛山城(杉治部大輔隆泰の城)

●周防鞍掛山城
住所:山口県岩国市玖珂町谷津
駐車場:西側登山口は駐車場あり、東側登山口は住宅街で駐車スペースなし
遺構:曲輪
標高:240メートル/比高:170メートル

 杉治部大輔隆泰の城だった。隆泰は大内義隆に仕え、陶晴賢の反乱(大寧寺の変)後は、大内義長に仕える。厳島の戦いで晴賢が敗死すると一旦は毛利元就に降ったが、密かに義長に毛利氏の動向を知らせた。そのことが毛利氏に知られ吉川元春・小早川隆景ら2万(数には諸説あり)の軍勢に攻められ落城し隆泰も戦死している。

(古戦場鞍懸城址の碑)
古戦場鞍懸城址の碑

(曲輪と展望台)
曲輪と展望台

曲輪と展望台

曲輪と展望台

(展望台から西を望む。地図を見れば分かるが山に囲まれた盆地に街が形成されている)
展望台から西を望む

感想:東側から登ったために駐車場がなく苦労しました。西側だと駐車場がある上にすぐに主郭に着けるので、そちらがオススメです。