●喜見山摩尼寺
住所:鳥取県鳥取市覚寺624
駐車場:あり
天台宗。本尊は千手観音菩薩と帝釈天。摩尼山の山腹にある。天長年間(824~834)、高草郡の産見の長者の深い信仰に応えた帝釈天が摩尼山に現れたため、長者は寺を建て、承和元年(834)に円仁(慈覚)が伽藍を造営したと伝わる。平安時代には因幡国内の死者の魂は摩尼山に行くと信じられていた。
天正9(1581)年6月の鳥取城攻めでは、羽柴秀吉が山を焼き討ちにしたため、摩尼寺も焼失する。この時、摩尼寺の僧・中山道好の抵抗が知られている。
その後、現在の地に再建され、鳥取藩から庇護を受けた。享保3年(1718)、滋賀県大津市にあった安楽院の末寺となり、安楽院から輪住(一年交替で本寺などから来る住職)が派遣される。近世の寺領は26石だった。
明治3年(1870)の廃仏毀釈で土地をすべて没収されたが、個人が払い下げを受け寺に寄進して戻している。
(県指定有形文化財の仁王門。文禄3年(1594)に建立された。島根県隠岐郡西ノ島町の焼火神社を移築したと伝わる)
(国指定有形文化財の本堂。万延元年(1860)に再建された)
(秀衡杉の祠。陸奥の藤原秀衡が大病の際、祈願の使者を摩尼寺に送ったところ全快。摩尼寺は感謝した秀衡から礼に杉の苗木を送られたため、庭に植えた。しかし、鳥取城攻めの際に焼失した(近世に雷で焼失したとも)と伝わる。焼け残った倒木を使用し、不動明王の像を彫って本堂に安置してある)
参考文献:鳥取県の地名、因幡の摩尼寺、鳥取県史蹟名勝案内、鳥取市観光サイト、中国観音霊場
感想:奥の院は熊が怖くて行きませんでした。
『山陰の戦国史跡を歩く 鳥取編』から割愛した史跡です。