満願寺城

●満願寺城
住所:松江市西浜佐陀町

 城史には諸説あるが、第一次尼子再興戦で再興軍の城だったことは確実で毛利軍に攻められている。現在、城趾には満願寺や島根県警察学校が建っている。

(満願寺)
満願寺

満願寺

(満願寺にある玉椿。毛利元就が永禄7(1564)年、体調を崩して療養中に植えたそうな)
満願寺

(満願寺の裏にある満願寺城の堀や曲輪などの遺構。曲輪の先が崖になっており降りると宍道湖がある。この先に船着き場と思われる砂地があったのだが、急斜面だったので降りなかった)
遺構

遺構

宍道湖

遺構

(満願寺の墓地もかつては曲輪だったらしい)
墓地

墓地

墓地

墓地

(少し移動して日御碕神社の西の曲輪を散策。満願寺の墓地と繋がっているが、竹藪になっていたので進むことが困難だったため確認はしていない)
西の曲輪

西の曲輪

西の曲輪

西の曲輪

(警察学校の剣道の訓練を横目に見ながら西に移動。船着き場があったが、ここが当時から使われていたのかは不明)
船着き場

(西の曲輪群)
西の曲輪群

西の曲輪群

西の曲輪群

西の曲輪群

感想:城や寺の歴史についての詳しいことは『山陰の戦国史跡を歩く 島根編』を参考にしてください。

(ルートマップ)
ルートマップ





北尾城(河原山城の候補地)

●伯耆北尾城
住所:鳥取県米子市淀江町北尾
駐車場:なし
遺構:曲輪・堀切
標高:101メートル/比高:50メートル

 天正13(1585)年に起こった河原山城(香原山城)の戦いの舞台の候補地である。

(全景)
全景

(入口のあった南から北に進んでいたら大きな曲輪に出た)
大きな曲輪

大きな曲輪

(南と真ん中の間には大きな堀切が)
大きな堀切

大きな堀切

(中央の曲輪)
中央の曲輪

(中央と北の曲輪の間にある堀切)
堀切

堀切

(北の曲輪。この下には古代の山陰道が通っていたらしい。戦国時代も使われていたのか不明。東には堤があるが、当時からあったのかは知らない)
北の曲輪

北の曲輪

北の曲輪

感想:登り口が分からなかったため地元の方に案内をしてもらいました。ありがとうございました!





吉永陣屋(加藤明友の居館)

●吉永陣屋
住所:島根県大田市川合町吉永
駐車場:?

 寛永20(1643)年、賤ヶ岳の七本槍の一人・加藤嘉明の息子で会津藩主だった加藤明成は会津騒動のため、会津42万石を召し上げられた。そして明成の息子・明友に石見安濃郡の内、1万石が与えられ陣屋が築かれる。陣屋の場所として当初は大田市大田町大田の大沢が候補地だったが、水質の関係から当地になったという。
 天和2年(1682年)、明友が近江水口に移封されたため廃藩となり石見銀山領になった。

(吉永城址公園。ここが鉄砲場だった)
鉄砲場

鉄砲場

鉄砲場

(陣屋跡に建つ善林寺)
善林寺

感想:公園に行った時は伐採してあったのですが、2021年現在は森に帰っているようです。