「戦国時代の古文書解読-毛利編-」に参加してきた

 2021年2月21日(日)、鳥取県立博物館で行われた「戦国時代の古文書解読-毛利編-」に参加してきた。
古文書というより古文講座だったが、自分が望んでいた形での講座だったので喜んで参加した。普通の古文書講座は崩し字を読むことを学ぶが、素人はそれ以前に活字になった文章が理解できないんだよー! しかし何故かそこは読める前提で講座があるというのが不思議。高校で習うから読めて当たり前なのかもしれないが、授業の古文とは違う気がする。だから歴史好きでも史料集で挫折する人が多いのではないだろうか。現代人は文章の中に漢字の40%以上含まれていると難しく感じて読むのを躊躇するらしいし。
 
 話がそれたが講座は新鳥取県史の中から戦国時代の毛利に関する文書を読下にして意味を書くという内容だった。何も見ずにやってみると読下は大体あっていたのだが、訳す際に品詞の意味を真反対に捉えるなど知識不足が露呈した。講座の先生も言われていたが読下はパターンを覚えればある程度は何とかなるが、そこから先が分からん。
 私は今まで古文→現代語訳で意味を読み取ろうとしていたが、古文→読下→現代語訳にすると理解しやすくなることが分かったから今後はそうするつもり。

 来週は尼子編だ。試験じゃないので誰にも見られる訳じゃから恥ずかしがらず、たくさん間違えて古文を覚えてくるつもり。

(写真は問題で出てきた武田高信の墓)
武田高信

写真の提供についてはこちらをクリック




陶晴賢本陣跡(津和野城攻撃の際の本陣)

●陶晴賢本陣跡
住所:島根県鹿足郡津和野町鷲原
駐車場:入口近くに駐車スペース有り
遺構:曲輪など
標高:420メートル/比高:240メートル

 天文23(1554)年、陶晴賢が吉見氏の籠もる津和野城を包囲した際、大蔭山に築城し本陣とした。津和野城のほぼ南に位置し両城の間には津和野川が流れる。晴賢が嚴島で戦死した後、当城から見つかったと思われる鰐ロを吉見正頼が鷲原八幡宮に奉納している。

(主郭。電波塔が建っている)
主郭

(北東には津和野の街が見える)
津和野の街

(津和野城がはっきりと視認できる。ここで晴賢は毛利元就の動きを知り部下に指示を出し、吉見や尼子と和議をして元就との戦いに向かったのかなあ)
津和野城

(縄張図だと写真の場所辺りに津和野城に見せつけるための竪堀があるらしいのだが全く分からん)
竪堀

(西の曲輪にも塔が建っている。こちらは送電塔のようだ)
送電塔

(北西に延びる曲輪群。崩れたためか群というより坂だった)
曲輪群

(曲輪群は先に進むにつれ危険になってきたので途中で引き返した)
曲輪

感想:もっと行きづらいと思っていたが道が整備されており苦労はなかったです。上記の比高は麓の道の駅からで、入口からは90メートルくらいしかないですし。
 北側の麓からも津和野の街並みが良く見え山口線が目の前を通ることから撮り鉄さんが何人かおられました。
 鷲原八幡宮については下記の「山陰の戦国史跡を歩く 島根編」を参考にして下さい。奉納された鰐ロについても詳しく記載しています。


島根編 注文書

賀茂神社(毛利元康再興の神社)

●賀茂神社
住所:安来市安来町541
駐車場:有り
 祭神は別雷神・神日本磐余命など。宝亀9(778)年、京都の上賀茂・下鴨両社を勧請して創建されたという。その後、衰微したようだが、天正18(1590)年に月山富田城主・毛利元康が再興した。「雲陽誌」には「天正年間(1573~92年)に松江藩主・堀尾忠晴が造営した棟札がある」との記載があるが、天正年間の当地の領主は毛利氏であるため年代か領主名の誤りだと思われる。

(鳥居)
鳥居

(参道)
参道

(拝殿)
拝殿

(本殿)
本殿

(何を祀っているのだろう?)
境内社

感想:「山陰の戦国史跡を歩く 島根編」に掲載する予定だったのですが、毛利元康が再興したことに関しての出典がどれだか分からなくなってやめました。その前に元秋・元康兄弟が関係したこともどこかに書いてあったような…(曖昧な記憶です)。
 ちなみに裏山は尼子十砦の一つ・赤崎山城です。


島根編 注文書