法専寺(石見小笠原氏ゆかりの寺)

●法専寺
住所:島根県大田市鳥井町鳥井744
駐車場:有り

 浄土真宗。小笠原長秀が守る山吹城が落ちた後、長秀の息子の四人は仏門には入る。その内の一人が石見銀山にあった真言宗の満願寺に入った。四世の常芸は石山本願寺に籠もって織田信長と戦い功があり現在の寺号を賜る(浄土真宗への改宗時期は不明)。のちに銀山での布教が上手くいかなくなったことから現在地に移転した。

(入口)
入口

(山門)
山門

(なんの建物だろう。宝物殿のように見えるが)
宝物殿

(鐘楼)
鐘楼

(本堂)
本堂

感想:小笠原氏の旧臣(石山本願寺合戦の際かもしれません)で、のちに大檀那になった宮脇家が墓地の高台にあり玉垣で囲われており目を惹きます。
 慶応の一揆の墓が一基あったらしいのですが分かりませんでした。


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向横田城(首片木城・首旁之城・頸ヶ滝城)

向横田城(首片木城・首旁之城・頸ヶ滝城)
住所:島根県益田市向横田
駐車場:有り
遺構:曲輪・堀切・土塁
標高:90メートル/比高:70メートル
 文治元(1185)年に地頭として当地に来た石川頼恒が築城したという。高津川と匹見川の合流地点にある要衝で、北側には横田平野が広がり中世には市もあった。別称に首が付くのは横田平野を喉部にあたることからであろう。承久3(1221)年の承久の乱の戦功で吉見義世が鹿足郡を与えられると横田氏を代官として派遣し、当城に入って石川氏の娘を妻にしたと伝わる。横田氏がのちに能美山城に移ると領家氏が入った。
 文明3(1471)年、領家氏が大内道頓の反乱に加担したため益田貞兼に攻められ降伏。大嶽城に移って、文明10(1478)年に益田氏の家臣の城市正雄が改築し居城としたという。天文20(1551)年の正雄死後も一族の者が領していたようだが、天正5(1577)年に移封されたため廃城になったようである。
 城名は石川氏(横田氏)は首旁之城、領家氏は首片木城、城市氏は頸ヶ滝城と称していたという。明治38(1905)年、日露戦争に参加した兵のために忠魂碑を建立したことから忠魂山と呼ばれるようになった。
 城は南の主要部分と北の出丸に分かれており、その二つの間を尾根が通っている。

(南西の曲輪にあった土塁)
土塁

(南西の曲輪と主郭の間にある堀切)
堀切

(西屋敷跡)
西屋敷跡

(南の主要部分の北側にある土塁)
土塁

(写真では分からないが上記の土塁の先にある巨大な堀切。尾根との間を分断している。危険だったので降りなかった)
巨大な堀切

(主郭。右に建つのは忠魂碑)
主郭

(主郭から北東方面を望む。右を流れるのが高津川)
高津川

(東西の曲輪の間の尾根下に立つ愛宕神社。大正までは出丸にあったが移された。領家公恒などを祀っている)
愛宕神社

(尾根)
尾根

(馬場跡)
馬場跡

(出丸)
出丸

感想:たまたま行った日が地元の方の大規模な草刈りの日で駐車場に駐めるのに難儀しました。普段は八台くらい駐められます。
 ネットで検索すると主要部分の北側の堀切は尾根から南に行けば容易に見られたようです。残念。


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安養寺(都茂鉱山ゆかりの寺)

●安養寺
住所:島根県益田市美都町山本イ1531ー1
駐車場:有り

 浄土真宗。元慶5(881)年、山烏行淵が諸国行脚中に都茂鉱山で銅を発見した。そののち採掘が始まると、行淵は鉱山の地区内に真言宗の正福寺を創建。慶長3(1598)年、浄土真宗に改宗し、寛永15(1637)年に現在の寺号となる。天明3(1783)年に再建。明治44(1911)年、現在地に移転した。
 しだれ桜の名所として知られる。

(本堂)
本堂

(即如門主御巡教記念碑。即如は浄土真宗本願寺派第24世門主・大谷光真さんって方らしい)
記念碑

(しだれ桜。時期が違うので桜は咲いていないが)
しだれ桜

感想:都茂鉱山に行く際、大きな本堂が目に入ったので参拝しました。現代の住職さんの姓は公的機関が山烏を山鳥と誤記したため、山鳥を通称としたそうです。戸籍でどちらになっているかまでは分かりません。


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