老松神社(今山の戦いゆかりの三蔵塚)

●老松神社(三蔵塚)
住所:佐賀県佐賀市兵庫町106(大字 若宮)
駐車場:境内に駐車スペースあり

 祭神は菅原道真など。建久5(1194)年、武蔵七党の一党・児玉三河守俊治が肥前に来て武蔵での氏神であった老松大明神を勧請したのが始まりと伝わる。
 三蔵塚の由来は以下の通りである。元亀元(1570)年の今山の戦いに敗れた大友宗麟軍の将・大友三蔵は東に逃げたが、龍造寺隆信軍の追撃を受け討死してしまう。哀れに思った地元の住民が建てた慰霊碑が三蔵塚と呼ばれるようになった。以前は討ち死にした神社の東の兵庫町堀立西にあったが現在地に移転されている。

(一の鳥居と参道。道真を祀っているので神額に天満宮と刻んであった)
一の鳥居と参道

一の鳥居と参道

(二の鳥居と石橋)
二の鳥居と石橋

(拝殿。かなり傷んでいるが熊本地震の影響か?)
拝殿

(幣殿と本殿)
幣殿と本殿

(新しい地蔵堂が建っていた)
地蔵堂

(周りが堀に囲まれているので居館跡のように見える)
堀

堀

堀

堀

(三蔵塚。標柱も何もないのでネットの写真を頼りに参拝した。予算がないとは思いますが佐賀市さんが立ててくれると助かる方もおられると思います・・・。周辺に同じような塚が2~3基あるそうな)
三蔵塚

三蔵塚

参考文献:佐賀市地域文化財データベースサイト

感想:県道51号からの入口が分かりづらくカーナビが鳥居から直接、境内に行こうとしたためえらい目に遭いました。地図で見る限りでは西村医院の南西か、焼肉の大昌園の北から入るのが安全そうです。出る時は大昌園の北から出ました。



肥前 長宗我部元親陣跡(肥前名護屋の陣跡)

●肥前 長宗我部元親陣跡
住所:佐賀県唐津市鎮西町名護屋2010(字 石屋町)
駐車場:なし
遺構:曲輪、石垣
標高:55メートル/比高:9メートル

 土佐の大名・長宗我部元親の肥前名護屋での陣跡である(佐賀県文化財調究報告書 第115集「特別史跡「名護屋城跡並びに陣跡」10 徳川家康別陣跡発掘調査概報」には「長宗我部元親ヵ」とある)。3,000人の兵を率いて出陣し四国の諸大名と共に五番隊(慶長の役では六番隊)に属して朝鮮半島の巨済島などで普請を行っている。

(全景)
全景

(標柱が阿波 徳島になっているのは有名な話)
阿波 徳島

(麓の様子)
麓の様子

麓の様子

麓の様子

(石垣があったが当時のものか不明。この上は過去に畑だったため、その時に積まれた可能性もある)
石垣

(陣跡は竹藪となっており進むことができなかった。写真では分かりづらいが段差があった)
陣跡

陣跡

参考文献:長宗我部元親・盛親、佐賀県文化財調究報告書 第115集「特別史跡「名護屋城跡並びに陣跡」10 徳川家康別陣跡発掘調査概報」

感想:検索すると2017年頃は陣跡まで行けたようです。



肥前 名護屋城(豊臣秀吉の朝鮮出兵の拠点)

●肥前 名護屋城
住所:佐賀県唐津市鎮西町名護屋(字 大久保、赤玉毛)
駐車場:あり
遺構:曲輪、石垣、井戸跡
標高:83メートル/比高:20メートル

 国指定特別史跡。名護屋城があった場所には松浦党の名古屋氏の居城・垣添城(垣副城)があったが、豊臣秀吉の朝鮮出兵の拠点として天正19(1591)年(天正18年説あり)に築城が開始され翌年に完成した。当地が選ばれた理由は朝鮮半島に近く名護屋浦や外津浦など入り江が多く停泊に最適だったためである。
 当時は大坂城に次ぐ規模で20万人の大都市が形成されていたという。慶長3(1598)年、秀吉の死で朝鮮出兵が終わると唐津の領主・寺沢広高に与えられた。広高は唐津城の築城の際、名護屋城の建物を移築するが城壁などは残している。だが寛永14(1637)年に島原の乱が起こると、広高の息子・堅高は一揆などに利用されることを恐れ石垣を壊して城番を置いた。

(駐車場と名護屋城博物館の間にあった大手口前井戸跡。場所は下にある概略図を参照)
大手口前井戸跡

(大手口付近と登城坂。入城料は無料だが整備のために寄付金(100円だったかな?)を払うとパンフレットをもらえる。下の概略図は発行元に許可を取って載せている)
大手口付近と登城坂

大手口付近と登城坂

大手口付近と登城坂

大手口付近と登城坂

大手口付近と登城坂

大手口付近と登城坂

(東出丸。ここでは動画を撮りながら話している若い女性がいた。ここ数年、観光地でそういう方が増えたなあ。時代ですな)
東出丸

東出丸

東出丸

(三の丸)
三の丸

三の丸

三の丸

三の丸

三の丸

(三の丸井戸跡)
三の丸井戸跡

(馬場。等間隔で崩れている石垣があって破城跡かなと思ったらそうだった)
馬場

馬場

馬場

(二の丸。長屋建物跡があった)
二の丸

二の丸

二の丸

(遊撃丸。文禄2(1593)年、明国から使節として来日した沈惟敬(遊撃将軍)の宿舎があった)
遊撃丸

遊撃丸

遊撃丸

遊撃丸

遊撃丸

(水手曲輪。水手なので井戸跡があった)
水手曲輪

水手曲輪

水手曲輪

水手曲輪

水手曲輪

(本丸)
本丸

本丸

本丸

本丸

本丸

本丸

本丸

本丸

(本丸大手門)
本丸大手門

(弾正丸。浅野弾正長政が居住していた)
弾正丸

弾正丸

(搦手口)
搦手口

搦手口

(城のかげ溜池)
城のかげ溜池

参考文献:九州の名城を歩く 佐賀・長崎編、佐賀県の地名、現地の案内板、名護屋城跡ガイドマップ

感想:ゴールデンウィークに行ったので、とにかく人が多かったです。ここは景色がいいので天守がないですが家族連れでも問題ないでしょう。
 ここでは飽きるくらい石垣を見られました。石垣好きにはたまらん城だと思います。

(概略図。クリックすると別タブが開きます)
概略図


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