鏡神社(松浦総鎮守。源氏物語ゆかりの地)

●鏡神社
住所:佐賀県唐津市鏡1827
駐車場:あり

 一ノ宮の祭神は息長足姫命(神功皇后)、二ノ宮の祭神は藤原廣嗣朝臣(藤原広嗣)。神功皇后が新羅に出兵する際、七面山(鏡山)に登って戦勝祈願を行うと宝鏡が霊光が発した。凱旋時、神功皇后は地元の住民から宝鏡を渡され、皇后が宝鏡を御神体として祭祀を行ったのが鏡神社一ノ宮の始まりである。
 藤原鎌足の曾孫・藤原広嗣は有能な人物だったが故に妬みを受け無実の罪を着せられ太宰府に左遷後、斬首された。広嗣の怨霊が都に禍をもたらすようになったため、社殿を建立して祀ったのが二ノ宮の始まりである。
 鎌倉時代には源頼朝が崇敬した。当地の領主・草野氏は平安時代から天正15(1587)年に草野氏が領地を没収されるまで大宮司を務めている。唐津藩主・寺沢氏の崇敬も受ける。明和7(1770)年に焼失するまでは七堂伽藍が建ち並んでいたと伝わる。

(一の鳥居)
一の鳥居

(二と三の鳥居)
二と三の鳥居

(子育て狛犬)
子育て狛犬

(手水舎。長寿の水らしい)
手水舎

(一ノ宮。参道の右手にある。最初はここが正面になるように参道があったが途中から変わったらしい)
一ノ宮

一ノ宮

(源氏物語の歌碑。源氏物語に「君にもし心たがはばまつらなる鏡の神をかけてちかはん」などの歌が出てくることから、源氏物語ゆかりの地として有名のようだ)
源氏物語の歌碑

(二ノ宮)
二ノ宮

二ノ宮

(神木)
神木

参考文献:佐賀県の地名、佐賀県の歴史散歩、鏡神社公式サイト

感想:境内に建つ寺沢広高の墓に参拝した際、一緒に参拝しました。



寺沢広高の墓(肥前唐津城主)

●寺沢広高の墓
住所:佐賀県唐津市鏡(字 宮ノ原)
駐車場:墓の入口に駐車スペースがあり

 寺沢志摩守広高(永禄5(1562)年?~寛永10(1633)年)は織田信長に仕えた尾張出身の寺沢広政の長男。広高は豊臣秀吉に仕え、慶長5(1600年)の関ヶ原の戦いで徳川家康に味方し、それまでの領地に加え天草4万石が加増され肥前唐津12万石の大名となった。
 その後、唐津城を築き市内の中心を流れる松浦川の治水事業を行い潮風を防ぐ防風林を植樹させ(虹の松原)、唐津市の基礎を築く。そのため命日の4月11日には市内の各集落では「志摩さま祭り」が昭和時代になっても行われていたという(現在は不明)。
 墓は広高の遺言に従って鏡神社の境内の北側に建てられた。高さ約6メートル、幅約1.5メートルの巨大なもので、正面は「前志州大守休甫宗可居士」、左面は「寛永第十癸酉年」、左面には「孟夏四月十一日」と刻まれている。
 鏡村(唐津市鏡)の村人は墓守料として年貢の一部の免除されたので、現在でも墓守を続けているという。

(案内がある)
案内

(入口。写真の向かって右に駐車できるスペースがあった)
入口

入口

(手水舎があるが水がない。心の水で浄めてください)
手水舎

(墓の全景。向かって右の森の先に鏡神社があるが、森を通って直接参拝するのは無理そうだったので遠回りでも鋪装された道を使った方が良い)
墓の全景

(墓石。写真では分からないと思うが圧倒される大きさである)
墓石

参考文献:佐賀県の地名、佐賀県の歴史散歩、歴史残花、苓北町史、詩と史の松浦潟 2版

感想:墓のある北側の道を通ったのですが、そこから南下するため左折をするのが大変だった記憶があります。詳しくは下の地図で確認してください。
 なので南から神社の西側に沿った道を走った方が楽かもしれません。



宝樹山龍津寺(小田資光の墓、月海元昭(売茶翁)の顕彰碑)

●宝樹山龍津寺
住所:佐賀県佐賀市巨勢町東西137-5
駐車場:なし

 黄檗宗。佐賀藩の支藩・蓮池藩の藩主が化霖道龍に帰依し、道龍を開山として龍津寺を創建した。昭和20(1945)年のアメリカ軍の空襲によって焼失し廃寺となった。

(入口。軽自動車ならギリギリ入れるくらいの狭さだったため、自分は入らなかった)
入口

(像)
石像

(焼失後に建てられたと思われる建物)
建物

(月海元昭(売茶翁)の顕彰碑。元昭は龍津寺の化霖道龍の弟子となり、各地で黄檗宗、曹洞宗、臨済宗を学んだ。のち京で茶を売りながら放浪生活を送り、売茶翁の名で知られる。煎茶の祖として崇敬されている)
月海元昭(売茶翁)の顕彰碑

(蓮池城主・小田駿河守資光の墓。小田氏は龍造寺氏の軍門に降り、勢福寺城攻めに小田政光が加わるが戦死。政光の喪中に龍造寺隆信が小田氏の居城・蓮池城を攻め落とした。隠居していた祖父の資光は落城を知り自害する。資光は蓮池の徳恩寺に葬られたが祟りが続くということで龍津寺に移された。大きな宝篋印塔が資光の墓で、奥の塔は小田氏への賛辞が刻まれている)
小田駿河守資光の墓

(全景)
全景

参考文献:佐賀県の地名、佐賀市公式サイト

感想:周辺に車を駐めるところがなくて周りを何周もしていました。
 私は小田資光の墓の参拝に来たのですが、一般には元昭修行の寺として知られているようです。