高野山奥之院の五輪塔5 森忠政の墓(供養塔)

●高野山奥之院の五輪塔5 森忠政の墓(供養塔)
住所:和歌山県伊都郡高野町高野山(字 奥ノ院(原文ママ))
駐車場:入口にあり

 高野山での菩提寺は釈迦文院。森忠政(元亀元(1570)年~寛永11(1634)年)は美濃金山城・森可成の六男で兄に森長可や森蘭丸などがいる。兄達が全員亡くなったため忠政は森家の家督を継いで美作津山藩の初代藩主となっている。

五輪塔の正面には下記の通り刻まれている。
 寛永十一年
本源院殿前親衛
(梵字ア) 先翁宗進
大居士成菩提也
 十一月七日

森忠政の墓

森忠政の墓

参考文献:戦国武将と高野山奥之院: 石塔の銘文を読む

感想:父と五人の兄は全員戦場で散ったという戦国時代を体現しているような家です。



高野山奥之院の五輪塔4 最上家親の墓(供養塔)

●高野山奥之院の五輪塔4 最上家親の墓(供養塔)
住所:和歌山県伊都郡高野町高野山(字 奥ノ院(原文ママ))
駐車場:入口にあり

 高野山での菩提寺は北室院。最上家親(天正10(1582)年~元和3(1617)年)は最上義光の次男で、義光の跡を継いで出羽山形藩2代藩主となる。大坂の陣に参陣した。

五輪塔の正面には下記の通り刻まれている。
出羽国太守最上駿河守殿
源朝臣家親追薦也
    奉為盛廣院殿
(梵字ア) 安景長公大禅定門
    成等正覚
施主孝子最上源五郎朝臣
家信造立之 元和三年三月六日

最上家親

参考文献:戦国武将と高野山奥之院: 石塔の銘文を読む

感想:ご存じの通り家親没後、御家騒動(最上騒動)が起きて最上家は出羽山形57万石から近江大森1万石(のちに5000石)に大減封されています。



高野山奥之院の五輪塔3 伊達秀宗の墓(供養塔)

●高野山奥之院の五輪塔3 伊達秀宗の墓(供養塔)
住所:和歌山県伊都郡高野町高野山(字 奥ノ院(原文ママ))
駐車場:入口にあり

 高野山での菩提寺は北室院。伊達秀宗(天正19(1591)年~明暦4年(1658)年)は伊達政宗の長男(ただし庶子)で大坂の陣に参陣した。政宗と正室の間に伊達忠宗が生まれていたため、大坂冬の陣後に伊予宇和島10万石を与えられ宇和島伊達家の初代当主となる。

五輪塔の正面には下記の通り刻まれている。
奉為豫刕宇和嶋城主
 伊達前四品侍従遠刕太守
  藤原朝臣秀宗公
(梵字ア)等覚寺殿頂山紹玄
   大居士一周忌薦福也
  施主孝子伊達大膳大夫
  宗利剣営之
干時万治二歳次巳亥六月八日

伊達秀宗の墓(供養塔)

伊達秀宗の墓(供養塔)

参考文献:戦国武将と高野山奥之院: 石塔の銘文を読む

感想:特にないです。