和歌山城

住所:和歌山市一番丁3番地

 標高48メートルの虎伏山にある城。別名・虎伏城。1585年、豊臣秀吉が紀州征伐後に吹上ノ里と言われた土地に建てたのが始まりだと言われている。この築城には藤堂高虎らが奉行を勤めた。城主を秀吉の弟・豊臣秀長が務め、秀長が移封された後は家臣の桑山重晴が城代を務める。
 関ヶ原の戦い後は浅野幸長が城主となり、幸長没後は弟・長晟が継いだ。1615年の大坂夏の陣では浅野軍主力が不在中に攻め込まれたが留守隊で撃退している。1619年に浅野家は安芸広島城に移封されると、徳川家康の十男・徳川頼宣が入った。頼宣は城の大増築をしたが、これが幕府に謀反の疑いをかけられたため途中で中止している。その後、和歌山城は明治維新まで紀州徳川家の城となった。
 1846年に雷で天守などが消失したが1850年に再建される。しかし1945年7月の和歌山市内の空襲で天守閣などが焼失。1958年に天守閣が復元され現在は公園として市民に親しまれている。

(和歌山城全景)

(大手門)

(石垣)

(天守)

(重要文化財・岡口門)