甫登神社(女陰を祀る神社)

●甫登神社
住所:鳥取県西伯郡大山町高橋
駐車場:なし

 甫登(ほと)とは女陰のことであり御神体の甫登の霊石を祀る。昔は縁結びや安産の御利益があるとされた。現在はその他に快癒、商売繁盛、交通安全、所願成就を祈る者が参拝するという。

(鳥居)
鳥居

(御神体)
御神体

御神体

(集落を繋ぐほととぎす橋。甫登とかけて、この名前にしたのだろう。向かって右が甫登神社)
ほととぎす橋

(近くのほととぎす橋から撮った景色)
景色

感想:大山寺や船上山に近く入口も分かりづらいため訪れる人は少ないと思います。



備前龍ノ口山城(最所氏の城。龍之口八幡宮)

●備前龍ノ口山城
住所:岡山県岡山市中区祇園・四御神
駐車場:龍之口八幡宮の駐車場を利用
遺構:曲輪、土塁、堀切、虎口
標高:221メートル/比高:192メートル

 別名・天神山城。城主としては最所(最荘)元常など最所氏、山口与一、近藤与右衛門の名が伝わっている。天文年間(1532~55年)、備前金川城の松田氏が宇喜多氏に対抗するために築城し最所氏を配置したという説がある。永禄4(1561)年に最所氏が没落すると宇喜多氏の家臣が城主となったが、慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いで宇喜多氏が改易され廃城になったと推測されている。
 龍之口八幡宮は祭神が誉田別命などで、天平時代にはあったようだが創建年代について明確なことは不明である。寛文元(1661)年、岡山藩主・池田光政が再建(創建?)し保護した。太平洋戦争中には武運長久の神社として、現在は受験の神社として地元から崇敬を受けている。

(一の鳥居から登頂)
一の鳥居

(しばらく登ると二の鳥居?と社殿近くの駐車場に出る)
二の鳥居

(三の鳥居)
三の鳥居

(やがて南の曲輪群に出る。主要な城域との間には東から西に沿って大きな堀切がある。独立しているように見えるが参道を通した際に大きな堀切の北にあった遺構が破壊された可能性がある)
堀切

南の曲輪群

南の曲輪群

南の曲輪群

南の曲輪群

(主郭の一番奥に建つ龍之口八幡宮)
龍之口八幡宮

龍之口八幡宮

龍之口八幡宮

(境内にある井戸。城の井戸として使われていたのか不明)
井戸

(境内の東から北にかけて逆L字型にある当城の中ではもっとも大きい曲輪群。土塁や折れ曲がる場所には虎口らしき箇所もあった。一部は立ち入り禁止になっているため注意が必要)
大きい曲輪群

大きい曲輪群

大きい曲輪群

大きい曲輪群

大きい曲輪群

大きい曲輪群

大きい曲輪群

(上記の曲輪群から北側を望む。左に見えるのが旭川)
北側を望む

(曲輪群を東に下るといくつかの平削地と二重の堀切があった。やがて東に下る登山道のようになってきたので引き返した)
曲輪群を東に下る

曲輪群を東に下る

曲輪群を東に下る

曲輪群を東に下る

曲輪群を東に下る

曲輪群を東に下る

感想:龍之口八幡宮の参拝客が多く地元では知られた神社のようでした。
 私は運動も兼ねて下の龍之口車塚公園に駐めて上がりましたが、上記の通り社殿近くに駐車場があります。面倒な方はそちらに駐めた方がよいでしょう。ただしどの道を通って行けばいいのかは私は知りません。

(縄張図)
縄張図


写真の提供についてはこちらをクリック


当ブログ掲載の縄張図について

 当ブログの縄張図は鳥取県文化財課様、島根県埋蔵文化財調査センター管理課様、古代吉備文化財センター様、山口県観光スポーツ文化部様、香川県教育委員会生涯学習・文化財課様、大原純一様(佐川町教育委員会様)、香美町教育委員会事務局生涯学習課様の許可を得られたもののみ掲載しております。個人利用は問題ありませんが、転載はお控えください。