美作 鶴田城(鶴田堡。塀和氏、もしくは閑国氏の居城)

●美作 鶴田(たづだ)城
住所:岡山県岡山市北区建部町鶴田・角石谷
駐車場:なし
遺構:曲輪、堀切、竪堀、土橋、井戸跡
標高:262メートル/比高:80メートル

 岡山県内の大河の一つ・旭川と、滝谷川の分岐点の北に位置する城。大永3(1523)年、塀和(芳賀)八郎為長が落として城主となったが、天正4(1576)年に毛利氏に味方して戦死した。その跡を杉山備中守為就を継いだと伝わる。他の説では元の城名が「鶴鳴」で閑国大夫重実が築城して後裔の太郎実秋や宮内少輔などが城主だったという。

(登り口。整備されている)
登り口

(登って行くと北端の曲輪群と堀切に出る。場所は下の縄張図を参照)
北端の曲輪群

北端の曲輪群

北端の曲輪群

北端の曲輪群

北端の曲輪群

(堀切が竪堀になっていく箇所)
堀切が竪堀になっていく箇所

堀切が竪堀になっていく箇所

(やがて曲輪Ⅱの北にある曲輪に出る)
北の曲輪

北の曲輪

(曲輪Ⅱの西にある曲輪)
西にある曲輪

西にある曲輪

西にある曲輪

(北東にある井戸跡)
井戸跡

(東端の曲輪に続く道。危なそうなので東端の曲輪には行かなかった)
東端の曲輪に続く道

(井戸から曲輪Ⅱを経由して曲輪Ⅰに続くまでの曲輪群)
曲輪群

曲輪群

曲輪群

曲輪群

曲輪群

曲輪群

曲輪群

曲輪群

曲輪群

曲輪群

曲輪群

曲輪群

曲輪群

(曲輪Ⅰ)
曲輪Ⅰ

曲輪Ⅰ

曲輪Ⅰ

曲輪Ⅰ

曲輪Ⅰ

曲輪Ⅰ

(曲輪Ⅲ)
曲輪Ⅲ

(天保2(1831)年に建てられた城主芳賀八郎為永と杉山備中守為就の供養塔。後裔と思われる杉山一族の名前が刻まれている。この二人は竹内流という古武術の発祥と関係があるらしいのだが関係サイトを読んでも理解ができなかった)
芳賀八郎為永と杉山備中守為就の供養塔

(曲輪Ⅰの西にある曲輪と竪堀群)
西にある曲輪と竪堀群

西にある曲輪と竪堀群

西にある曲輪と竪堀群

西にある曲輪と竪堀群

(北から見た全景)
全景

参考文献:岡山県中世城館跡総合調査報告書 第3冊 美作編、作陽志、現地の案内板

感想:入口までの車道が狭く周辺に駐車スペースもないため苦労しました。
 城は見る限り、最近地元の方が伐採してくださったようです。ありがとうございます!

(縄張図。クリックすると別タブが開きます)
縄張図


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