宍戸神社(宍戸隆忠を祀る)

●宍戸神社
住所:広島県安芸高田市甲田町上甲立
駐車場:あり

 祭神は宍戸隆忠。隆忠は宍戸元源(よとよし)の次男で福祉や農政に尽力したが、享禄2(1529)年に佞臣の讒言で家臣の石丸某に殺された(亡くなった年には天文2年や19年説あり)。その後、怪奇現象が起きたことから剱大明神として祀ったのが神社の始まりである。享保年間(1716~1736年)、現在地に移転され宍戸大明神と社名を改めた。

(鳥居)
鳥居

(石段。結構な急角度だった)
石段

(拝殿。石段がかなり崩れていた)
拝殿

(本殿)
本殿

感想:今はここだけですが昔は領内にいくつか建てられていたそうです。よほど隆忠は住民に慕われていたのでしょう。
 同市にある宍戸司箭神社と混同されることがありますけど別の神社です。





南陽山賢忠寺(福山藩主・水野家の菩提寺、水野家墓所)

●南陽山賢忠寺
住所:広島県福山市寺町4-24
駐車場:あり

 曹洞宗。元和8(1622)年、福山藩主で徳川家康の従兄弟・水野勝成が父の忠重の菩提を弔うため創建。愛知県刈谷市にあった水野家の菩提寺・楞厳寺の僧の能山芸を招いて開山とした。当初、山号は護国山だったが草書のため萍国山に見え水野家が3代以降は早死にして遂には改易されたことから「護国山ではなく危うき国だ(萍は浮き草と読み、人の世の定めないことに例えられる)」と噂になり、南陽山に改号したという。
 昭和20(1945)年の福山空襲で焼失したが、その後に再建された。本尊の無量寿如来は平重盛の念持仏と伝わり、他にも忠重や勝成の肖像画や勝成の遺品などが寺宝としてある。
 北側には水野家墓所がある。もとは現在地より南側にあったが昭和32(1957)年に都市計画で現在地に移された。

(竜宮門になっている山門)
山門

(本堂。ちらっと見える遊具は境内にある幼稚園のもの)
本堂

(水野家墓所)
水野家墓所

(水野勝成の墓)
水野勝成の墓

(水野忠重の墓)
水野忠重の墓

感想:夕方に参拝したので広い境内に誰もおらず寂しい気持ちになったのを覚えています。この頃は先行きが不透明な時期だったのもあるかと思います。
 当たり前ですが水野家墓所も賢忠寺の境内です。





安芸星ヶ城(星野氏の居城)

●安芸星ヶ城
住所:広島県安芸高田市吉田町高野、桂
駐車場:あり
遺構:曲輪、土塁、堀切
標高:370メートル/比高:160メートル

 毛利氏の家臣・星野市兵衛の居城だったが、のちに長野下野守の下屋敷になっている。

(復元された冠木門。以前は公園として整備されていたようだが今は荒れ果てている)
冠木門

(復元された櫓門)
櫓門

(本来の城域への登山口)
登山口

(山頂にある曲輪。土塁は分からなかった)
山頂

山頂

山頂

山頂

(山頂から桂城や鈴尾城方面を望む)
風景

(麓近くに復元された櫓)
櫓

感想:城好きよりも廃墟好きが喜びそうな場所でした。

(現地にあった略測図)
略測図