毛利元就の銅像

●毛利元就の銅像
住所:広島県安芸高田市吉田町吉田278-1(安芸高田市歴史民俗博物館)
駐車場:あり

 令和5(2023)年12月、毛利の里再生委員会により毛利元就の銅像新設プロジェクトが開始され、令和6(2024)年2月に目標金額1,000万円に対して約1,500万円が集まった。そして令和6(2024)年7月に銅像が建立された。
 この銅像は、肖像画や末裔の方々の顔を参考に、厳島の戦い当時の元就を再現したものである。高さは3.9メートル(像自体は1.7メートル)で重さは6トンあり、厳島神社の方角を向いている。

毛利元就の銅像

毛利元就の銅像

毛利元就の銅像

感想:クラウドファンディングで途中、伸び悩んでいて心配しましたが、なんとか建立できたようで良かったです。


旧高烏砲台兵舎(呉市の島々や山間部に築かれた13基の砲台のうちの一つ)

●旧高烏砲台兵舎(呉市の島々や山間部に築かれた13基の砲台のうちの一つ)
住所:広島県呉市警固屋(音戸の瀬戸公園内)
駐車場:あり

 高烏(たかがらす)砲台は呉市の島々や山間部に築かれた13基の砲台のうちの一つである。高烏砲台は、日本陸軍が外国艦船の侵入を防ぐ目的で、標高218メートルの高烏台に28センチ榴弾砲6門を配備し、明治29(1896)年から建設を開始。明治34(1901)年に完成させた。この際、兵舎も併設された。大正15(1926)年、戦争の形態が進化したため砲台は放棄されたが、戦争の主役となりつつあった航空機に対抗するため本土防衛用の高射砲が設置される。
 終戦後、砲台は兵舎は放置されたが、昭和36(1961)年に音戸の瀬戸公園として整備された。

兵舎

兵舎

参考文献:現地の案内板、民俗建築 112号、呉市史 第5巻、国土交通省、呉市公式サイト

感想:この時は左足を骨折しながら回っていたので移動が大変だったのを覚えています。


音戸の瀬戸(呉市の本土と倉橋島の間の水道)

●音戸の瀬戸
住所:広島県呉市警固屋、呉市音戸町
駐車場:音戸の瀬戸公園は駐車場あり

 呉市の倉橋島と休山(やすみやま)半島との間の水道で、幅が約70~90メートルある。平清盛が日宋貿易と厳島神社の参拝のため、応保2(1162)年に切り開いたと伝わる。清盛が向かい潮で船が進まないことに怒り、海上を睨むと潮が逆流したという伝説から、「清盛のにらみの瀬戸」とも呼ばれていた。
 現在では、1日に大小約700隻の船舶が往来している。昭和36(1961)年に音戸大橋が、平成25(2013)年に国内初のの空中ジョイントを成功させた第二音戸大橋が架けられた。

(音戸の瀬戸公園から見た音戸の瀬戸。手前が第二音戸大橋、奥のループになっているが音戸大橋である。自分が呉に住んでいた頃は音戸大橋しかなかったため、そちらに思い入れがある)
音戸の瀬戸

(音戸の瀬戸公園にある平清盛日招像。工事できる期間を延ばすため、沈んでいく太陽に向かって扇を振り戻したという「日招き伝説」を元に建てられた)
平清盛日招像

(県指定史跡の伝・清盛塚。音戸の瀬戸を切り開いた清盛を讃えるため、元暦元(1184)年に建てられたと伝わるが、実際には室町時代の建立と推測されている。また、清盛による開削伝説もその頃に生まれたと考えられる。『輝元公御上洛日記』の天正16(1588)年7月9日の条には「牛ノ刻ニ瀬戸を御舟が出られ、此戸中に清盛ノ石塔これ有り」とある。なお、上の橋は音戸大橋である)
清盛塚

参考文献:広島県の地名、呉市観光情報サイト広島県公式サイト

感想:この時は左足を骨折しながら回っていたので移動が大変だったのを覚えています。健康の有り難みを感じました。