林光山福田寺(後藤又兵衛父母の供養塔)

●林光山福田寺
住所:兵庫県姫路市山田町南山田807

 天台宗。大化年間(645~50年)、法道が開基したと伝わる。戦国時代は南山田城主・後藤氏の菩提寺だったと伝わり、後藤又兵衛基次の崇敬を受けたという。慶長年間(1596~1615年)、教順が再興した。幕末、当寺の僧・詮隆が寺子屋を開き、その流れで明治5(1872)年に南山田小学校が開校されている。昭和11(1936)年、本堂が改築された。

(石段と山門)
石段と山門

(南山小学校の碑。南山田小学校が翌年に南山小学校になったのだろうか)
南山小学校の碑

(本堂と庭園。本堂には又兵衛と父母の位牌があるらしい)
本堂と庭園

(庫裡には参拝した前年に放映されていた大河ドラマ「軍師官兵衛」と、又兵衛の旗があった)
又兵衛の旗

(平成27(2015)年、大坂夏の陣で戦死してから400回忌を記念し建てられた後藤又兵衛顕彰碑)
後藤又兵衛顕彰碑

(後藤又兵衛父母の供養塔)
後藤又兵衛父母の供養塔

感想:又兵衛が主君の黒田家と共に移封された後、庇護者がいなくなって衰微したが慶長年間に再興されたのでしょう。



当ブログ掲載の縄張図について

 当ブログの縄張図(現況遺構図、刈谷城現況対象図)は掛川市協働環境部文化・スポーツ振興課、浜松市文化財課、刈谷市歴史博物館、香美町教育委員会事務局生涯学習課、姫路市埋蔵文化財センター、鳥取県文化財課、島根県埋蔵文化財調査センター管理課、古代吉備文化財センター、赤磐市教育委員会(社会教育課)、広島県教育委員会(文化財課)、谷本 寛様(世羅町教育委員会)、山口県観光スポーツ文化部、香川県教育委員会生涯学習・文化財課、高知市教育委員会、大原純一様(佐川町教育委員会)から許可を得られたもののみ掲載しております。個人利用は問題ありませんが、転載はお控えください。


但馬館山城(無南垣城、塩冶氏の居城)

●但馬館山城(無南垣城)
住所:兵庫県美方郡香美町香住区無南垣字城山
駐車場:不明
遺構:曲輪、畦状竪堀群、堀切
標高:82メートル/比高:77メートル

 芦屋城と同じく北と西は日本海で切り立った崖となっており南は険しい斜面のある要害だった。築城年代は不明だが東にある無南垣港を守るために築かれたと思われる。城主は芦屋城の塩冶周防守と同族の塩冶氏で、城に山名俊豊の主殿を建てる際、芦屋の塩冶氏の支配領域であった居組の者が動員された。塩冶氏は近隣の林甫城主・長氏と境界を巡って争い、但馬守護・山名祐豊と塩冶左衛門尉が謀って長越前守善秀を此隅山城で自害させている。
 城域は4つの区域に分けて考えられており西から城砦1・2・・・と数える。1・2は比較的古く南北朝期~室町期、3・4は戦国期と推測されている。

(城の東端に建つ金比羅神社。ここも曲輪だった)
金比羅神社

(金比羅神社を更に登ると忠魂碑がある横25×縦50メートルの広い曲輪(城砦4の14)に出る。ここに俊豊の主殿や塩冶氏の居城があったと考えられている。最近まではここに金比羅神社があったようだ)
城砦4の14

城砦4の14

(城砦4と3を結ぶ横20×縦30メートルの曲輪(13))
曲輪13

(城砦3の南にある腰曲輪)
腰曲輪

(腰曲輪にある畦状竪堀群。うーん、見ても分からんかった)
畦状竪堀群

(腰曲輪の西にある巨大な竪堀)
竪堀

竪堀

(腰曲輪の上にある横15×縦18メートルの曲輪(11)。土塁もあった)
曲輪(11)

(城砦3の中心にある横24×縦40メートルの曲輪(10))
曲輪(10)

(城砦3の西端にある三日月状の曲輪)
三日月状の曲輪

三日月状の曲輪

三日月状の曲輪

(上記の曲輪の南にある曲輪(12))
曲輪(12)

曲輪(12)

(城砦3と2の間にある堀切)
堀切

堀切

堀切

(城砦2の最初の曲輪、というか尾根?)
尾根

尾根

(尾根の南に曲輪群があったが行っていない)
尾根の南に曲輪群

(城砦2の中央に位置する曲輪(8))
城砦2の中央

城砦2の中央

(中央の曲輪の西にある堀切)
堀切

(城砦2の中央の曲輪と西端の曲輪を結ぶ尾根)
尾根

尾根

(西端の曲輪)
西端の曲輪

西端の曲輪

(上記で城砦2の西端の曲輪と書いたが実際は北東に向かってコの字型の曲輪群がある。この堀切はそのコの字型曲輪群の西側との間にある)
堀切

(コの字型曲輪群の一部。疲れていたので無視して西に直進した)
コの字型曲輪群

(ようやく城砦1の城域に入った。西側の入り海が綺麗に見える。コの字型曲輪群とはここで合流するようだ)
城砦1の城域

城砦1の城域

(城砦1の北側の曲輪群。石積みがあった。直登が嫌で道のある崖沿いを歩いたが危険で体力的には楽だったが精神力を奪われた)
北側の曲輪群

北側の曲輪群

北側の曲輪群

北側の曲輪群

北側の曲輪群

(城の最北西の横25×縦26メートルの曲輪(3)に到着。ここが主郭だろう)
曲輪(3)

曲輪(3)

曲輪(3)

曲輪(3)

(上記の南にある最高地点の曲輪(1)。物見台として利用されていたのだろう)
曲輪(1)

曲輪(1)

曲輪(1)

(更に南には麓まで曲輪群が続く。疲れていたのと未整備のような感じだったので行かなかった)
南の曲輪群

南の曲輪群

(最高地点の曲輪に戻って東の曲輪群(4など)に行き、そのまま元の道を通って下山した)
東の曲輪群

東の曲輪群

東の曲輪群

東の曲輪群

東の曲輪群

(無南垣港)
無南垣港

感想:自治体主催のイベントか地元の保存会かは分かりませんが城域のほとんどが伐採してあり見学しやすかったです。ただし城砦4より先は道が整備してある訳ではないので注意が必要です。特に城砦1は足のバランスを崩すと落ちて大怪我か死ぬ可能性がある場所があります。
 約100の曲輪があり見応えがありましたが、疲れていたのと危険な箇所があったので全部は確認していません。

(縄張図)
縄張図