2014年大坂の陣巡り(1日目その1:今福と鴫野)

 2014年5月30日(金)、久々に大坂の陣関係で大阪府に行く。今回の一番の目的は「毛利勝永座談会と見学会」
 11時頃に大阪府に到着すると大阪市城東区に向かう。まずは今福鴫野の戦いに関する史跡を廻る。

(今福の戦いで佐竹義宣が陣を敷いた若宮八幡宮。写真を撮り直しに来たのに修繕中だった(T_T))

(大阪夏の陣 佐竹義宣陣跡。碑文について細かいことは気にしないように)

 今福から鴫野方面に移動する。

(現在の城東区今福南の風景。この辺りで激戦が繰り広げられたことであろう)

(新喜多大橋の辺りから撮影した寝屋川(旧大和川)。左が今福で右が鴫野)


(鴫野古戦場碑。城東小学校の門の横に建っている)

(城東小学校の向かい側に建つ八剱神社西口(裏側)。当時、この辺りは湿地帯だったが当社や隣の大日寺周辺だけは整地されていたため上杉景勝が本陣を構えたという説がある)

(朝日山四郎右衛門の隠退記念で建てられた武者像。最初、鴫野の戦いと関係がある像かと思いました…)


 この時点ですでに暑くてかなわん…。倒れそう。

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「大坂の陣慰霊祭(399回忌)」(後半:羽曳野市内の史跡巡り)

 慰霊祭が終わった後、時間があったので羽曳野市の史跡を見て廻ることにした。バス停が良く分からないし運動にもなるので歩いていくことにした。

史跡:石川
住所:大阪府柏原市石川町・玉手町、大阪府藤井寺市国分・道明寺周辺
解説:道明寺の戦い後藤又兵衛を撃破した徳川軍がこの川を渡って豊臣軍を攻撃した。火器が不足していた豊臣軍は苦戦し誉田辺りまで撤退している。
感想:玉手山公園からとにかく遠かった…。


 道明寺駅を過ぎて次の目的地に行く途中、先月の道明寺合戦まつりに合わせて造られたワインがコンビニに置いてあった。買おうかと思ったけど、ワインは飲まないからやめた…。
 ひたすら歩いていて小雨も降ってきた頃、史跡に到着。

史跡:薄田兼相の墓
住所:大阪府羽曳野市誉田7丁目
解説:道明寺の戦いで戦死した薄田兼相の墓。1885年、広島藩にいた子孫(藩主の浅野家?)によって建てられた。おそらく薄田文右衛門の子孫だろう。
感想:国道170号沿いに案内があったことに初めて知った。

(案内)

(墓)

(大坂夏陣奮戦の碑)


史跡:誉田八幡宮
住所:大阪府羽曳野市誉田3-2-8
解説:祭神は応神天皇。鎌倉時代から室町時代には幕府の保護を受けたが、戦国時代になると度々兵火にあった。その後、豊臣氏や徳川氏の保護を受け栄えた。

(鳥居)

(参道)

(誉田林古戦場碑。道明寺の戦いでは薄田兼相が境内に陣を敷いている)

(拝殿。豊臣秀頼が八割ほど造ったが大坂冬の陣で工事が中止となる。後に徳川家光が完成させている)

(本殿)


 これで史跡巡りはお終い。大阪市内に戻ってご一緒して下さった方と居酒屋で歴史の話をずっとしていた。いや、関係ない話もしていたかな…。とにかく楽しい時間を過ごせた。
後半の感想:とにかく歩いて、飲んで、話した。疲れたので帰りの電車はずっと寝ていて名古屋に着くまで意識がありませんでした。とにかく充実した一日でした。
 慰霊祭で手を合わせた時、いろんなことが頭を過ぎりましたが、最初に浮かんだのはやはり長宗我部盛親毛利勝永のことでした。最後は亡くなられた全員の冥福を祈りましたが。

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「大坂の陣慰霊祭(399回忌)」(前半:柏原市内の史跡巡りと慰霊祭)

 2013年6月1日(土)、大阪府柏原市の玉手山公園で行われた「大坂の陣慰霊祭」に参加してきた。
 これは豊臣・徳川両軍、そして民衆で亡くなった方を供養するのが目的で、去年も大阪市内で似たようなイベントがあったらしい。
 11時前に河内国分駅で知り合いと合流し食事を済ますと、慰霊祭の前にちょろっと史跡巡りをした。

史跡:後藤又兵衛基次奮戦之地の碑
住所:柏原市片山町
解説:道明寺の戦い後藤又兵衛がこの辺りで最期を迎え首を埋められたらしい。碑は1969年に建てられた。
感想:狭い路地にぽつんとあるとあるため非常に分かりづらい。すき家とジョイフルの間の道を北に行くとある。

(碑)


 それから小松山方面に移動。急勾配でちと辛い…。

史跡:小松山古戦場跡の碑
住所:大阪府柏原市玉手町25
解説:道明寺の戦いの緒戦で激戦となった小松山の戦いの碑。この辺りが激戦地だったらしい。碑は1978年に建てられた。
感想:久しぶりに来たが当然ながら何も変わっていなかった。

(碑)

史跡:小松山
住所:大阪府柏原市片山町1
解説:道明寺の戦いで後藤又兵衛が死守しようとした場所。今は住宅街となりこのような丘しか残っていないが、開発される前は南の玉手山周辺も含めて一帯が山だった。
感想:玉手山一号墳でもあるそうな。

(小松山)

史跡:奥田三郎右衛門忠次の墓
住所:大阪府柏原市片山町1
解説:小松山の上に建っている。忠次は道明寺の戦いで戦死した徳川軍の武将。家臣5人の供養碑も建てられている。同じ場所に徳川軍の山田十郎兵衛の墓もあったのだが、すっかり確認するのを忘れていた…。

(非常に分かりやすい案内があった)

(忠次の墓)

(家臣5人の供養碑)


 一通り見て廻ると、供養祭のある玉手山に移動する。かなりの坂道を登ると会場の玉手山公園の大坂夏の陣戦没者供養塔に着いたが、1時間ほど余裕があったため、久しぶりに玉手山公園を散策した。

史跡:後藤又兵衛基次之碑・ 吉村武右衛門之碑
住所:大阪府柏原市玉手町7
解説:後藤又兵衛と、戦死した又兵衛の首を隠した吉村武右衛門の碑。
感想:この辺りには人がたくさんいたので、もしかしたら供養祭に参加する人かもと一瞬思ったけど、よくよく格好を見たら柏原市のウォーキングイベントに参加している人達だった。その後、予想通り誰も供養祭には参加していなかった。

(後藤又兵衛基次之碑)

(吉村武右衛門之碑)

(後藤又兵衛しだれ桜。ご覧の通りの人だったのだが…残念)

 その後は資料館などを見て時間を潰す。

(資料館の前に建っていた三天堂)

(売店の近くにあった顔抜き看板の中に後藤又兵衛もあった)

 それから大坂夏の陣戦没者供養塔に戻った。そこそこ人が集まっていた。50~60人くらいはいたかな。時間の13時半になると主催者の挨拶が始まり、続いて供養塔を建てた安福寺の住職さんの読経が始まった。


(読経中。供養碑は1700年前後に当時の安福寺の住職さんが尾張徳川家二代藩主・徳川光友の援助を得て建てている)

(続いて焼香。私も加わった)

 供養祭は30分ほどで終了。最後に主催者(主催が多くて、どの団体の誰が挨拶をしていたのか覚えていない…)が締めの挨拶をして解散となった。
前半の感想:地元のイベントという雰囲気が強く県外者はほとんどいませんでしたが、まあこれはこれで良かったんじゃないでしょうか。
 天気は曇りで日差しが強くなく、かといって雨も降らなかったので気候にも恵まれました。
 今後は毎年、6月1日に慰霊祭を行うらしいです。来年は日曜だからいいですが、再来年は平日なので気になります…。

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