2014年大坂の陣巡り(2日目その1:四天王寺南大門・毛利勝永陣所跡)

 2014年5月31日(土)、難波駅近くのホテルを出て八尾市に向かう。途中、目的地が変わったり荷物を預けるためにあっちこっちに移動したりして時間をロスしたが割愛。
 10時半頃、近鉄の服部川駅に到着。ここで『毛利勝永座談会と見学会』のメンバーと合流し、企画展の「大坂の陣と常光寺」を見るため八尾市歴史民俗資料館に向かう。
 この日も無茶苦茶暑くてみんな辛そうだった。

(資料館に到着。内容は残っている史料の関係から藤堂家寄りだった)


 食事をした後、四天王寺の南大門に向かう。

(南大門。天王寺・岡山の戦い毛利勝永がここで陣を構え徳川軍を蹴散らしている)

(南大門の南側の風景。こちら側に勝永は進撃していったのでしょう)


 それから大阪市中央区東高麗橋に移動する。

(大坂冬の陣でこの辺りが勝永の持ち場だったらしい。写真の奥は大阪大林ビル)

(上記の写真を撮影した今橋から川を撮影。右側には徳川軍が布陣していた)


 これで史跡巡りは終了。やはり人数が多いと行ける数が限られてくるな…。いやもともと勝永関係で行くところが少ないだけか。

写真の提供についてはこちらをクリック


2014年大坂の陣巡り(1日目その3:本町橋・心眼寺・薄田兼相の墓)

 大阪城から大阪市中央区本町橋に移動。本町橋といえば誰もが知っている本町橋の夜襲戦の舞台です。塙団右衛門、人気者だからね。

(現在の本町橋)


 そこから大阪市天王寺区餌差町に移動。
(心眼寺の山門に到着。ここは真田丸の攻防の際に真田丸として使われ、その後1622年に真田幸村大助父子の菩提を弔うため当寺が建てられた)

(山門の横には真田幸村出丸城跡の碑が建っている)

(扉にあった六文銭)

(坂本龍馬を暗殺したという説のある桂早之助と渡邊吉太郎の墓)

(本堂)

(まんなおし地蔵。「まん」は「間」のことで、「まんがわるい」は「タイミングが悪い」や「運が悪い」などの意味で山陰では使われるので、大阪でも似たような意味だと思われる。その「まん」、運などを直してくれるというご利益がある)


 ちょっとだけ移動して同じ天王寺区生玉寺町に到着。この辺りは寺町のようだ。

(増福寺。薄田兼相の墓がある)

(山門の横にはしっかりと碑がある。ちなみに山門を潜るとセンサーが鳴るが「お墓参りの方は入って頂いても結構です」みたいな案内があったので問題ありません)

(兼相の墓と本堂。墓は200回忌(1814年)に子孫の薄田兼実が建てている)


 夕方になったので史跡巡りはこれでお終い。動く体力がほとんど残っていなかったためホテルにチェックインしてゴロゴロしていた。

写真の提供についてはこちらをクリック


2014年大坂の陣巡り(1日目その2:大阪城)

 鴫野から大阪城に移動。初めて降りた駅から城に行ったので迷った…。青屋口に着いたところでボランティアさんに声をかけられたので案内していただいた。話を聞くのに一生懸命だったので、どこを撮ったかあまり記憶がありません。書いてる説明も適当です。すいません。

(青屋口)

(大阪城で最大の高さがある石垣。水深までいれると30メートルくらいだったと思う。伊賀上野城とはいつも高さで日本一を争っている)

(高石垣にある人面石。鬼門(北東)除けのために積まれたという説があるのだとか)

(はためく『大坂の陣400年』の文字)

(極楽橋。石山本願寺からの名称をそのまま引き継いだらしい)

(「調査したら大阪城の石垣の数は100万個ありました」だそうな。写真は極楽橋から見た内堀の石垣)

(ボランティアの方「こういうのは枡形と言いまして敵の侵入を容易にさせないための工夫なんですよ」。私「わ~、ここに来たら鉄砲で皆殺しですねえ」)

(自分の希望で山里丸の豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地に寄らせてもらった。合掌)

(「大阪城はこのような雁木だったんですよ。坂道は旧日本軍が使い始めてからです」)

(隠し曲輪。ここから山里曲輪には狭い出入り口しか無かったため、敵の不意を突いて攻撃することが出来た)

(隠し曲輪にある石垣。「伊予大洲藩・加藤家(丸に十字)と丹波園部藩・小出家(丸に二八)の石垣の境がはっきり分かるので皆さんをご案内しています」)

(大阪城模擬天守。展示物は前に見たので入らなかった。「戦前は豊臣の石垣の上に徳川の大阪城が建っていたと信じられていたんですよ」)

(右が黒田長政、左が細川忠興の残念石だったかな? なぜか石まで不仲に見えてくる…)

(大阪城・上田城友好城郭提携記念碑。当然、真田繋がりです。それなら浦戸城とも友好城郭提携記念を…)

(「現存する金蔵です。頑丈な作りですが江戸時代に一度だけ内部のものの犯行で盗み出されたことがあります」)

(桜門枡形の巨石)

(豊国神社の鳥居。「京都は『とよくにじんじゃ』で大阪は『ほうこくじんじゃ』と読みます」)

(境内に建つ豊臣秀吉の像。下のお賽銭箱は最近出来たものらしい)

(石山本願寺推定地)

(乾矢倉)


 ここでボランティアの方とはお別れ。こんなに大阪城を回ったのは初めてだ…。暑い中、ありがとうございました!

写真の提供についてはこちらをクリック