伊賀史跡巡り2009(前半:伊賀上野城・上行寺・入交家住宅・西島八兵衛の墓)

 2009年7月4日(土)、二週間しか経っていないのにまた三重県に行きました。今度は伊賀地方。
1.伊賀上野城・・・伊賀市上野丸之内106-3にある。筒井氏の居城だったが、1608年に改易されると伊勢・伊賀に築城の名手・藤堂高虎の領地となる。豊臣家に備えるため、大坂城のある方面に守りを固める城に改築された。天守は1612年の暴風雨で倒壊。昭和10年に再建されている。
感想:伊賀に来たらまずここという定番の史跡。石垣は相変わらず見事・・・だが草木がちょっと気になった。
 ここで高虎ファンの方オススメの「実伝 藤堂高虎」を購入。あとで読むのが楽しみ^^

(定番アングル。面白みも何もなし)


 ここから伊賀市内を散策。

2.上行寺・・・伊賀市上野寺町1165にある。藤堂家の菩提寺。紀伊→伊予を経て伊賀に移った。歴代藩主の墓がある。
 伊賀にも高虎の墓があるなんて知らんかった~。

(藤堂高虎の墓)

3.大超寺・・・伊賀市上野寺町1181。島勝猛(左近)の息子・新吉に討ち取られた藤堂良政を始めとする藤堂玄蕃家歴代の墓がある。
感想:大坂の陣で戦死した藤堂良重の墓を参拝したかったけど、どれか分からず・・・。住職さんが法要中で詳しい場所が聞けなかった。行けば分かると聞いていたのに・・・。
 ちなみに本墓は大阪府八尾市の常光寺にあり、ここは供養塔とのこと。

(藤堂玄蕃家歴代の墓)

4.入交家住宅・・・伊賀市上野相生町2828にある。藤堂家の家臣・入交(いりまじり)家の武家屋敷。平成になっても子孫の方がお住まいだったが近年、市に寄贈され一般公開された。
感想:入交と言えば、もちろん元・長宗我部氏の家臣。ここは入交重信の流れを汲む家。お墓は藤堂家の菩提寺・上行寺にあるのだが、一人ではなかったので諦めた。また次回に・・・。
 当時の面影を残しており歴史に興味がない人でも一見の価値有り。

5.正崇寺・・・伊賀市上野紺屋町3177にある。土木関係で有名な藤堂家の家臣・西島八兵衛の墓がある。
感想:八兵衛のことを誰も知らんかった・・・。仕方がないか。
「こんな形の墓があるんですか」
と聞かれたので、
「豊田市にある渡辺守綱の墓がこういう箱形だった記憶がある」
と言ったら、「誰、それ?」とみんなに返された。有名じゃないのかな、渡辺守綱って・・・。
 まあ話を戻すと西島八兵衛はとにかく偉大な人なんです。

(西島八兵衛の墓)

5.山渓禅寺・・・伊賀市上野恵美須町1590にある。藤堂新七郎家の菩提寺。藤堂良勝の供養塔(この方も大坂夏の陣で討ち死にしたため、お墓は常光寺)と伝・藤堂正高の墓がある。
感想:いろんなところに聞いてやっと両方共に辿り着けた。一番苦労した。疲れた・・・。

(山渓禅寺の山門)

 ここからは中心街から離れているので車で移動。


写真の提供についてはこちらをクリック


大安禅寺(越前松平家廟所)

住所:福井市田ノ谷町21ー4

 臨済宗妙心寺派。養老年間に創建された田谷寺が前身。48の坊舎が建ち門前市をなして栄えたが、1574年の織田信長の越前攻めで焼失してしまう。1657年、跡地に福井藩主・松平光通が越前松平家の菩提寺として大安禅寺を創建した。現在もほぼ創建当時の姿を残している。

(松平光通を祀る開基堂。国の重要文化財)

(商売繁盛と家内安全のご利益がある布袋像)

(子授、健康、勉学向上のご利益がある子安観音)

(縁結びの観音岩)

(本堂。国の重要文化財)

(松平家廟所(千畳敷)。寺から少し離れた場所にある)

(結城秀康の墓。後ろは殉死者の墓)

(3代藩主・松平忠昌の墓。後ろは殉死者の墓)

感想:福井県のお墓は立派なものが多い印象があります。松平家御廟所は門を自分で開けて入るため、お寺の方に許可をもらってから行きましょう。

写真の提供についてはこちらをクリック