藤堂良重

(とうどうよししげ)

生没年:1592〜1615年/ 身分:藤堂家の家臣/ 官位(通称、号):玄蕃

藤堂良重の兜
伊賀上野城にある良重の兜

 藤堂良政の三男。父・良政は高虎の従兄弟で各地の大名家を転々としていたが最後に高虎の家臣となり、関ヶ原の戦いで島勝猛(左近)の息子・新吉に討たれたという人物。その跡は当初、兄が継いでいたが病気で亡くなったため、1605年に良重が家督を継ぐ。
 大坂冬の陣では藤堂高刑の相備(互いに協力するための備え)として従軍した。夏の陣では藤堂良勝の副将となり、若江の戦いで戦死する。八尾市本町5−8−1の常光寺に葬られた。

管理人・・・良重の死は、高虎から『手柄の討死』と評されたそうです。

参考文献:藤堂高虎家臣辞典、ほか

UPDATE 2002年11月13日
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