杜の渡し跡(筑後川の戦いの最前線)

●杜の渡し跡
住所:福岡県久留米市宮ノ陣町大杜(字村前)
駐車場:なし

 中世まで当地は水運と陸運の要衝だった。杜は恵都里(えずり、えづり)と読み、森という字だったが同訓の杜の字に変わったという(『北筑雑藁』)。延文4(正平14,1359)年、筑後川の戦いの直前に北朝の主力・少弐頼尚の軍勢の前衛が「杜ノ渡」に陣を構えている。戦いの際には菊池武光ら南朝の軍勢が渡河したという。
 碑は現在地より西の堤防の上にあったが筑後川大橋の架橋工事で現在地に移された。

(史蹟 杜渡之跡の碑。奥に見えるのが筑後川大橋)
杜渡之跡の碑

(裏には「大保原戦前官軍主力ノ渡河セシ所ナリ」と刻んである)
裏

(現在はここから筑後川がはっきりとは見えない。水量が増えれば見えるだろうが、おそらく大雨の時だろう)
筑後川

(久留米市の西端にある水天宮から長門石方面を望むと見える筑後川)
筑後川

参考文献:福岡県の地名、久留米市史 第9巻 (資料編 近世 2)、消えていく渡し船、宮ノ陣校区の文化財マップ

感想:碑の反対側に駐車しましたが道路の交通量が多く渡るのに難儀しました。当地は近世、森村という地名でした。


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