宝円寺(前田利家の両親の供養塔)

住所:福井県越前市高瀬1丁目25ー4

 曹洞宗。1388年、直伝正祖が創建した。1573年、織田信長が越前を治めていた朝倉義景を攻めた際に兵火で全焼。しかし越前府中城主となった前田利家が当寺の住職・大透圭徐に帰依し再興し、両親の菩提を弔った。利家はその後、加賀に移封された際にも金沢に宝円寺を建立している。
 1584年に再び兵火によって全焼したが、利家の息子・利長が再建している。その後、1821年と1931年に火災にあうが再建し現在に至る。

(総門)

(総門の側に建つ微笑延命地蔵尊)

(総門の側に鎮座する前田利家像)

(十三仏堂)

(六地蔵堂)

(右が道元、左が瑩山の像)

(山門)

(本堂。前田家の家紋がありました)

(庭園)

(利家の両親の霊廟)

(利家の父の供養塔)

(利家の母の供養塔)

感想:石像が多く香川県の田村神社與田寺と同じ雰囲気がした。
 山門など趣があって良かったのに、それを壊している感じがちょっと残念。いや、事情は分かりますよ、分かりますけど…。


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龍門寺城(不破光治・木村重茲の居城)

住所:福井県越前市本町9-5

 曹洞宗。1299年、悦巌崇禅によって龍門寺が創建された。府中の南側にある要衝だったことから、1573年に朝倉義景から織田信長に寝返った富田長繁が本陣を構えるため龍門寺城を築いている。1574年、一向一揆勢に支配されるが信長は羽柴秀吉と明智光秀に奪回させている。1575年、府中に入った信長は当城を本陣として一向一揆の殲滅を行ない、その際、京都所司代・村井貞勝に「府中の町は死骸ばかりにて一円あき所なく候。見せたく候」と書き送ったのは有名である。
 1575年には府中三人衆の一人・不破光治が入った。1583年、賤ヶ岳の戦いで敗れた柴田勝家を前田利家が迎えたのが当城だと伝わっている。1585年、木村重茲が府中を支配し、1588年に城内の南隅に龍門寺を再興する。

(薬医門)

(薬医門の横に建つ城趾碑)

(本堂。境内がちょっとだけこんもりしているのは城の名残らしい)

(地蔵堂)

(土塁跡)

感想:周辺の道が狭くて寺の出入りに苦労しました。駐車場はあるのでご安心を。
 墓地が一段低い場所にありましたが、そこは城の堀跡だそうです。


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引接寺(天台真盛宗別格本山)

住所:福井県越前市京町3丁目3ー5
 天台真盛宗別格本山。1448年、天台真盛宗の開祖・真盛が創建した。2世の住職・真慶は越前を支配した朝倉貞景の弟だったため、朝倉家の帰依を受けて栄えている。1852年、本堂が焼失したが松平春嶽と鴻池家の援助で再建されている。

(山門)

(境内から見た山門)

(旧福井県警察部庁舎。現在は丈生幼稚園となっている)

(本堂前に建つ真盛の像)

(本堂)

(本坊)

感想:他にも見所がたくさんあったようですが、体調がすぐれなかったためささっと参拝をすまして帰りました。


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