石川県史跡巡り2009(1日目後半:和田山城・鳥越城・手取川古戦場・松任城)

11.和田山城・・・能美市和田町。一向一揆の砦の一つ。1580年に柴田勝家が尾山御坊(金沢城の前身)に備えるために布陣した。空堀・土塁などが良好に残っている。
感想:空堀は一見の価値あり。

(空堀)

・道の駅「一向一揆の里」・・・白山市出合町甲34。近くの鳥越城で発掘されたものが展示されている一向一揆歴史館がある。
感想:人に勧められて行ってみました。トイレ行ってジュース買った。

(一向一揆歴史館)

12.鳥越城・・・白山市三坂町。加賀の一向一揆最期の拠点。1580年に柴田勝家によって落城させられるが、門徒は上杉景勝軍の力を借りて取り返す。しかし1582年3月1日、佐久間盛政によって落とされ一揆勢は壊滅。300人以上もの門徒が処刑された。周辺の村は3年もの間、荒れ果てていたという。
 現在は復元された門や碑などがある。
感想:道の駅に資料館があるくらいなので整備は行き届いている。車で山頂近くまで行けるが例によって道が狭いから気をつけて。

(枡形門)

(モニュメント。キリスト教関係でよく見る気がする)

(城下を望む。今は平和なこの場所が惨劇の舞台になったんだあ・・・)

13.願慶寺・・・白山市吉野タ25-1。石山合戦ののちも徹底抗戦を主張した教如は、織田信長に命を狙われたため、願慶寺に逃れ数年間を過ごしたという。その後、感謝した教如から周辺の村の本寺(のようなもの)に定められた。教如の自画像などがある(非公開)。
感想:外観は普通の寺(というより民家)だが、中は貴重な彫刻などがあり、外からは想像もできないくらい立派なお寺。

(鐘堂。有名な鋳物師の作。鐘は太平洋戦争中、国に提供させられることが多かったが、ここの鐘は価値あるものとして残った。戦後に造られた鐘とは音色が違うらしいが「聴かせてください」とはさすがに言えなかった。石垣もなにげに価値があるらしい)

(本堂)

14.手取川古戦場碑・・・白山市湊町ヨ146。上杉謙信が織田信長軍を破った戦いを記念した碑。呉竹文庫の駐車場にある。
感想:この戦いって言われるほど大規模な戦いではなかったという説を聞いたことがあるけど・・・よく覚えていない。
 周辺の道は狭いので気をつけて。

(碑)

(手取川)

 これで本日の史跡巡りは終わり。松任駅近くのホテルにチェックインした・・・・が、歩いてすぐのところに松任城があったので行ってみた。
15.松任城・・・白山市古城町42。一向一揆の中で重きをなした鏑木氏の居城だったが、1580年に柴田勝家によって落とされている。その後、前田利長・丹羽長重などが城主となったが、一国一城令で廃城。
 現在は「おかりや公園(松任城趾公園)」として整備されている。
感想:ただの公園だった。碑があるだけ良かったけど・・・。

(碑。たまには日の丸構図で)

(公園の入り口)

 今度こそ終了! 飯食ってホテル戻って寝た。

1日目の感想:当たり前だけど一向一揆関係の史跡が多い。
 あと山口宗永の慕われっぷりに驚いた。逆に丹羽長重の陰が薄い・・・。松任城略年表でも省かれていたし(赤座直保(吉家)の名はあったのに)。
 
 明日はいよいよ加賀百万石のお膝元・金沢です。

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石川県史跡巡り2009(1日目前半:吉崎御坊・大聖寺城・浅井畷古戦場・小松城)

 平成21年7月17日(金)、代休をもらって四連休となったので、中部地方最後の未踏の地・石川県に行った。
 天気予報は旅行中ずっと雨。ブルーな気分のまま、石川県に向かう。
1.吉崎御坊跡・・・福井県あわら市吉崎1丁目901番地。浄土真宗中興の祖・蓮如が比叡山の迫害を逃れ布教の地に選んだ。本堂跡の廻りには寺院が建ち並ぶ。
感想:石川県の史跡巡りと言いながらいきなり福井県。でも歩いて石川県に行けるくらい近い。
 この時は土砂降りで「1日これかあ・・・」と結構憂鬱だった。
 本堂だったところは公園となっているが周辺に由緒がありそうな寺院がいくつかあった。

(蓮如の像)

(近くにある蓮如上人記念館)

2.大聖寺城(錦城山)・・・加賀市大聖寺八間道。小早川秀秋の重臣だった山口宗永の居城。関ヶ原の戦いの際、東軍についた前田利長の猛攻撃を受けて落城した。
感想:雨がやんで一安心。他に特筆すべきことはなし。

(大聖寺城を遠望)

(山口玄蕃宗永公之碑)

3.山口宗永の首塚・・・加賀市大聖寺新町。福田橋の袂にある。ここに首が埋められた。元来の塚は次に紹介する全昌寺に移されて、今の碑は新しく建てられたもの。
感想:場所にイマイチ自信がなかったので、男性に尋ねたところ、丁寧に説明してくれた上「玄蕃さんは城下町を作ってこの地区の基礎を築いたんだ。大聖寺城は本当は守りの固い城だったのに裏から攻められて落城してしまったんだよ」と力説されていた。
 城攻めの話はよう分からんけど、僅か2年の治世だったのに地元の人には慕われているようだ。関ヶ原での悲話で美化されているような気も若干するけど・・・。

(山口氏霊地碑)

4.全昌寺・・・加賀市大聖寺神明町1。山口宗永・息子の修弘らの招魂碑、上記の大聖寺新町から移された首塚がある。
感想:宗永に関係する碑や塚が同じ地区内に三ヶ所もあるとは・・・。本当に地元の人に慕われているんだな。前田軍に城を落とされた人っていう印象しかなかったけど、詳しく調べると魅力的な武将なのかもしれん。

(山口宗永・修弘らの招魂碑)

5.波佐谷城・・・小松市波佐谷町。一向一揆の拠点の一つだったが、1580年、柴田勝家によって落とされている。
感想:草ぼうぼうで登っても特に何もなさそうだったので、すぐに引き返した。

(途中の道。遺構っぽく見えるがよく分からん)

6.御幸塚城(今江城)・・・小松市今江町。今江小学校の敷地内にある。一向一揆の拠点の一つ。加賀平定の際、柴田勝家が本陣としている。
感想:今は小高い丘と碑があるのみ。
 碑の廻りは「スズメバチの巣があるので危ないから近寄らないでください」みたいなことが書いてあった。でも、どこにあるのか分からなかった。

(今江城跡)

(「和」。城趾にあった銅像。城とは関係ない)

7.浅井畷古戦場跡(戦死者の墓)・・・小松市大領町。金沢に戻る前田利長軍の殿(しんがり)が上記の御幸塚城から帰る途中、丹羽長重の奇襲を受けた古戦場。現在は碑と戦死した前田家の武将の墓がある。
感想:ずっと行きたかったんだよ~! 近所の方のお話しによると、この辺りだけ丘となっており、周辺は沼地だったようだ。そこを通っていたのが名前の通り、畷(田と田との間の道)ね。
 お墓は風化が激しいので最近、京都まで運んで風化防止の液体を塗ったらしい。
 思ったより狭い場所で廻りは住宅街となっていた。写真で見ると松林の中にあるように見えたので・・・。

(古戦場跡全体。お墓の色が茶色がかっているのがその液体。あと下の土台も同時期に補強のため造られたもの)

8.小松城・・・小松市丸内町。小松高校の敷地内?かな。前田利常の隠居地として修築された。丹羽氏などが居城としていた旧・小松城は三の丸となっている。石垣が現存している。
感想:石垣の技術が完成された頃に組まれたため綺麗。

(櫓台石垣)

(櫓台の上にあった小松。「10.9メートル 二等三角点」という札がぶらさがっていた。小松城だから小松っていうダジャレ・・・?)

9.芦城公園(旧・小松城)・・・小松市丸の内公園町。上記の通り、旧・小松城の本丸だった。市役所の向かいにあり現在は公園となっている。
感想:いや、特に・・・。遺構もないし。

(前田利常の像)

10.来生寺・・・小松市園町チ6。小松城の移築門がある。
感想:特筆すべきことはなし。

(本堂側から見た移築門)

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伊賀史跡巡り2009(後半:藤堂采女家歴代の墓・柏野城・福地城・徳永寺)

6.西蓮寺・・・伊賀市長田1931。伊賀上野城代を務めた藤堂采女家の菩提寺。藤堂元則を始めとして歴代当主の墓がある。

感想:お墓がでかい。とにかくでかい。お寺の趣もいい。今回、行ったところで一番良かった。
 伊賀上野城が一望できるこのお寺を元則が菩提寺に選んだのは、死後も見守っていたいという元則の意向だろう。
 歴代当主の姓が途中から本姓の保田になっていた。

(山門)

(天正伊賀乱四百年記念碑)

(藤堂元則夫妻の墓)

(西蓮寺から伊賀上野城を望む)


7.柏野城・・・伊賀市柏野字宮ノ前にある。天正伊賀の乱で織田軍の猛攻撃を受けて落城。土塁・空堀などが良好に残っている。

感想:う~~ん・・・特に。確かに遺構は良く残っていた。

(空堀。写真だと良く分からないが、現物は素人の私でもはっきり分かるくらい良好な状態でした)

(土塁)


8.福地城・・・伊賀市柘植町にある。天正伊賀の乱で信長についた福地氏の居城。信長が横死した後は衰退したという。福地氏は松尾芭蕉の先祖と言われ、現在ここは芭蕉公園となっている。石垣・空堀などが残っている。

感想:名前の通り、あちこちに句があるなど芭蕉中心の公園となっていた。ただ城としても見所があった。

(公園の入り口?)

9.徳永寺・・・伊賀市柘植町2318にある。伊賀越えの際、家康が寄って休憩している。また福地城主・福地氏歴代の墓もある。

感想:この寺に案内したのが福地氏とのこと。そのまま家康についていった福地一族は静岡市に住み、現在も子孫の方がお住まいらしい。
 家康を助けたと言うことで、お寺には葵の御紋が下賜された。

(本堂)

(葵の御紋)


 これにて終了。渋滞の中、帰った。

本日の感想:行きたかった藤堂家関係のお墓にほぼ行けたので満足。伊賀と言えば忍者だけど、良く知らないので、あんまり行っていない。
 同行してくださった皆様、ありがとうございました!

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