石川県史跡巡り2009(1日目前半:吉崎御坊・大聖寺城・浅井畷古戦場・小松城)

 平成21年7月17日(金)、代休をもらって四連休となったので、中部地方最後の未踏の地・石川県に行った。
 天気予報は旅行中ずっと雨。ブルーな気分のまま、石川県に向かう。
1.吉崎御坊跡・・・福井県あわら市吉崎1丁目901番地。浄土真宗中興の祖・蓮如が比叡山の迫害を逃れ布教の地に選んだ。本堂跡の廻りには寺院が建ち並ぶ。
感想:石川県の史跡巡りと言いながらいきなり福井県。でも歩いて石川県に行けるくらい近い。
 この時は土砂降りで「1日これかあ・・・」と結構憂鬱だった。
 本堂だったところは公園となっているが周辺に由緒がありそうな寺院がいくつかあった。

(蓮如の像)

(近くにある蓮如上人記念館)

2.大聖寺城(錦城山)・・・加賀市大聖寺八間道。小早川秀秋の重臣だった山口宗永の居城。関ヶ原の戦いの際、東軍についた前田利長の猛攻撃を受けて落城した。
感想:雨がやんで一安心。他に特筆すべきことはなし。

(大聖寺城を遠望)

(山口玄蕃宗永公之碑)

3.山口宗永の首塚・・・加賀市大聖寺新町。福田橋の袂にある。ここに首が埋められた。元来の塚は次に紹介する全昌寺に移されて、今の碑は新しく建てられたもの。
感想:場所にイマイチ自信がなかったので、男性に尋ねたところ、丁寧に説明してくれた上「玄蕃さんは城下町を作ってこの地区の基礎を築いたんだ。大聖寺城は本当は守りの固い城だったのに裏から攻められて落城してしまったんだよ」と力説されていた。
 城攻めの話はよう分からんけど、僅か2年の治世だったのに地元の人には慕われているようだ。関ヶ原での悲話で美化されているような気も若干するけど・・・。

(山口氏霊地碑)

4.全昌寺・・・加賀市大聖寺神明町1。山口宗永・息子の修弘らの招魂碑、上記の大聖寺新町から移された首塚がある。
感想:宗永に関係する碑や塚が同じ地区内に三ヶ所もあるとは・・・。本当に地元の人に慕われているんだな。前田軍に城を落とされた人っていう印象しかなかったけど、詳しく調べると魅力的な武将なのかもしれん。

(山口宗永・修弘らの招魂碑)

5.波佐谷城・・・小松市波佐谷町。一向一揆の拠点の一つだったが、1580年、柴田勝家によって落とされている。
感想:草ぼうぼうで登っても特に何もなさそうだったので、すぐに引き返した。

(途中の道。遺構っぽく見えるがよく分からん)

6.御幸塚城(今江城)・・・小松市今江町。今江小学校の敷地内にある。一向一揆の拠点の一つ。加賀平定の際、柴田勝家が本陣としている。
感想:今は小高い丘と碑があるのみ。
 碑の廻りは「スズメバチの巣があるので危ないから近寄らないでください」みたいなことが書いてあった。でも、どこにあるのか分からなかった。

(今江城跡)

(「和」。城趾にあった銅像。城とは関係ない)

7.浅井畷古戦場跡(戦死者の墓)・・・小松市大領町。金沢に戻る前田利長軍の殿(しんがり)が上記の御幸塚城から帰る途中、丹羽長重の奇襲を受けた古戦場。現在は碑と戦死した前田家の武将の墓がある。
感想:ずっと行きたかったんだよ~! 近所の方のお話しによると、この辺りだけ丘となっており、周辺は沼地だったようだ。そこを通っていたのが名前の通り、畷(田と田との間の道)ね。
 お墓は風化が激しいので最近、京都まで運んで風化防止の液体を塗ったらしい。
 思ったより狭い場所で廻りは住宅街となっていた。写真で見ると松林の中にあるように見えたので・・・。

(古戦場跡全体。お墓の色が茶色がかっているのがその液体。あと下の土台も同時期に補強のため造られたもの)

8.小松城・・・小松市丸内町。小松高校の敷地内?かな。前田利常の隠居地として修築された。丹羽氏などが居城としていた旧・小松城は三の丸となっている。石垣が現存している。
感想:石垣の技術が完成された頃に組まれたため綺麗。

(櫓台石垣)

(櫓台の上にあった小松。「10.9メートル 二等三角点」という札がぶらさがっていた。小松城だから小松っていうダジャレ・・・?)

9.芦城公園(旧・小松城)・・・小松市丸の内公園町。上記の通り、旧・小松城の本丸だった。市役所の向かいにあり現在は公園となっている。
感想:いや、特に・・・。遺構もないし。

(前田利常の像)

10.来生寺・・・小松市園町チ6。小松城の移築門がある。
感想:特筆すべきことはなし。

(本堂側から見た移築門)

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石川県史跡巡り2009(1日目前半:吉崎御坊・大聖寺城・浅井畷古戦場・小松城)」への4件のフィードバック

  1. >柳葉さん

    山口宗永は関ヶ原の前哨戦に名前が出てくるくらいなので、そんなに有名な武将ではないです。
    でも、こういう武将がクローズアップされて欲しいです。
    グッズとか出るまで行くのはちょっと・・・ですが(そんな状況ないですけど)。

    「道の駅・一向一揆」は鳥越城での疲れを取るために寄ってみてください。
    そばが名物だったようですが、食べてないです><

  2. >キヘイジさん

    山口宗永とキヘイジさん。関係があるかもしれませんよ。調べてみてください^^

    小松城に小松は意図がよく分かりませんでした。学校の敷地内なので、関係したものを利用して学ばせたかったのか・・・。

    >北陸方面での上杉軍の動きって意外と積極的なんですよね。
    私も知りませんでした。
    「一向一揆の次は自分たちだ」ってことで、必死だったんでしょう。

  3. お疲れ様でございました!
    2、3番の山口宗永。筑後川さんのこの日記で、実はお名前を知りました。すみません。(><)
    でも、地域の方に慕われてるっていいですね。
    (道を教えてくれた男性も力説されるくらいだし。)

    「道の駅・一向一揆」はすごいですね。城のような、屋敷のような・・。

  4. 山口宗永は同姓だけに気になります。
    まあ、取り立てて言うほどの関係はないんでしょうけど(笑)

    小松城に小松・・・。ダジャレ、なんでしょうかねえやっぱり・・・。

    謙信死後の北陸方面での上杉軍の動きって意外と積極的なんですよね。
    北陸での影響力が強かった河田長親の死が残念です。

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