石川県史跡巡り2009(3日目前半:小丸山城・前田利春夫妻の墓・七尾城)

 平成21年7月19日(土)、今日は晴れ間も見える!一日、降らないといいなあ~。

27.小丸山城・・・七尾市馬出町。1581年に能登を与えられた前田利家が築城。堀などの遺構が残る。
感想:利家と松の銅像の近くに大河ドラマになった喜びを記した碑があった。大河ドラマになったせいか利家の銅像が多いなあ。知っているだけで石川県に3つ、愛知県に1つだもんなあ。

(利家と松の像)

(小丸山城趾の碑)

28.長齢寺・・・七尾市小島町リ52。前田利家の両親・利春夫妻や、利家の兄・安勝の墓などがある。
感想:ここも例によって駐車場までの道が狭いので、気をつけて。周辺の道も狭いけど・・・。お墓が土を盛っただけの質素なものだった。昔は木が生えていたようだが枯れたのだろう。

(前田利春夫妻の墓)

(長齢寺から小丸山城を望む)

29.七尾城・・・七尾市古城町。説明不要なくらい有名な城だが、一応説明を・・・。能登畠山氏の居城。戦国中期には城下町も賑わいを見せた。1577年、上杉謙信によって攻略され廃城。
 石垣・土塁・曲輪などが良好に残っており、城好きならずとも一度は訪れてみたい場所となっている。
感想:明らかに戦国時代には興味がなさそうな人達も結構いた。普通の観光名所なんだなあ・・・。
 ここはねえ・・・。いいよ。まあ、何がいいってとにかく写真を見てください。



 まあこんな感じですわ。好みはあると思うけど、雰囲気いいですよ。

(碑)

30.東嶺寺・・・七尾市田鶴浜町ニ253甲。長連竜を始めとする長一族の菩提寺。長連竜の墓がある。
感想:お寺は改装していないようで痛んではいたが、由緒のある寺という雰囲気が伝わってきた。
 長連竜のお墓は勝手には入れないため、お寺の方に許可をもらって行くようにしましょう。

(長連竜の墓)

(山門)

 ここを出てから雨が本格的に降ってきた。食事をするなど時間をつぶすが止む気配なし。仕方なく次の目的地に向かった。

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石川県史跡巡り2009(2日目後半:富樫晴貞の墓・金沢城・宇喜多秀家と豪姫の供養塔)

20.天徳院・・・金沢市小立野4丁目4-4。徳川家康の孫で利常の正室・珠姫の菩提寺。お墓は野田山墓地にある。
感想:昭和初期の火災で山門のみが残ったらしが、その山門だけでも威光が偲ばれる。さすがは徳川家の血筋を引き、百万石の大名の妻となった方の菩提寺。

(山門)

(山門より本堂(?)を望む)

21.伝灯(傳燈)寺・・・金沢市伝燈寺町ハ179。織田信長に呼応して朝倉氏を攻めようとしたため、一向一揆勢に攻撃された富樫晴貞が自刃した寺。お寺には晴貞の位牌、近くに墓と供養塔がある。
感想:富樫氏といえば政親の代で終わっているような印象があるが、その後も存続していた。晴貞は守護としての権威をかなり回復していたようだが、一向一揆にはかなわなかったようだ。
 お墓はお寺とはちょっと離れた場所にあり、住職さんにご案内いただいた。お墓には「子孫の方がたまに来るだけでほとんど誰も来ない」とのこと。金沢に行ったら富樫さんのところにも訪れてみてください。

(富樫晴貞の墓と供養塔)

22.専光寺・・・金沢市本町2-3-40。1531年の「享禄の錯乱」までは権威を誇っていたが、一向一揆の台頭などで失墜。しかし江戸時代に入ってから復興し、北陸全域まで末寺を広げた。
感想:今、考えたら何で行ったのかよく分からん・・・。立派そうだったからかな?

(山門)

23.尾山神社・・・金沢市尾山町11-1。前田利家を祀る神社。
感想:神社の神門がなぜか洋式なのが気になった。国の重要文化財らしい。

(本堂と兜)

(鳥居と神門)

24.金沢城・・・金沢市丸の内1-1。加賀の一向一揆の拠点・尾山御坊の跡に建てられた城。一時期、佐久間盛政が城主だったが、賤ヶ岳の戦いで処刑されると、前田利家が入る。以後、明治維新まで前田家の居城となった。兼六園と並んで金沢市の観光名所である。
感想:疲れでぼ~っとしててあんまり覚えていない。とにかく歩いた。

(櫓)

(石垣)

(入り口)

25.藩老本多蔵品館・・・金沢市出羽町3-1。前田家の重臣・本多家の上屋敷があった場所。本多家伝来の武具などが展示してある。
感想:疲れたのでちょっとここで休憩した。

(蔵品館の外観。ここにも当然、天地人の旗がなびいていた)

26.大蓮寺・・・金沢市野町2丁目1-14。豪姫の位牌所。葬儀もここで執り行われた。豪姫と秀家の供養塔があるが近世になって建てられたもの。
感想:この近辺、むっちゃくちゃ渋滞してて、かなわんかった・・・。近くの犀川大橋が渋滞ポイントのようだ。

(宇喜多秀家と豪姫の供養塔)

 もっと廻ろうと予定を組んでいたけど時間切れと疲れのため、ここで終了。金沢市内ならまた来られるしね。
 金沢市でホテルが取れなかったので、休憩後にホテルを取った七尾市まで向かった。金沢市から結構距離があった・・・。

2日目の感想:天気が微妙。でも、暑い。気がついたら熱中症になりそうだった。
 七尾市と言えば・・・ということで明日はいよいよ北陸最大級の山城に行きます。

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石川県史跡巡り2009(2日目前半:富樫館・本多家歴代の墓・前田利家の墓)

 平成21年7月18日(土)、小雨の降る中、ホテルを出発。
16.富樫館跡・・・石川郡野々市町本町2-7。加賀の守護・富樫氏の館跡。400年もの長きに渡る間、加賀を治めた。碑があるのみ。
感想:遺構は何もない。北陸鉄道・野々市工大前駅の駐輪場と化していた。駐めている人はこの碑が何なのか知らないんだろうなあ・・・。

(碑。一向一揆にやられた挙げ句に自分の住居が駐輪場とは冥土で富樫氏も嘆いているんじゃないだろうか?)

17.高尾(たこ)城・・・金沢市高尾町ウ31。富樫氏の居城。1488年に時の当主・富樫政親はここで数万の一向一揆勢に滅ぼされた。今は石川県教育センターが建っている。
感想:遺構があるらしいのだが、風雨はきついし探すのも面倒だったため、さっさと去った。高台にある住宅街の更に上にあったので、当時は結構な規模の城だったのだろう。ちなみに住所の読みは「たかおまち」になる。

(何なのかよう分からんけど一部を写してみた)

18.大乗寺・・・金沢市長坂町ル10。富樫氏の保護を受けていたが、一向一揆が力を付けた際は兵火にあっている。その後、前田家の重臣・本多家の保護を受け、本多家の菩提寺となった。本多政重を始めとする本多家歴代の墓がある。
感想:国指定重要文化財なだけあって格式の高いお寺なのが素人目にも分かる。今年の大河ドラマにも出るであろう本多政重のお墓に参拝した。

(山門)

(本多家旧墓所。何代目まではここで、途中から墓地が別の場所になる)

19.野田山墓地・・・金沢市野田町野田山。前田家累代、重臣の墓がある他、加賀藩士や町人の墓もある。墓は基本的に主君が一番高い位置に、その次に重臣、そして上級武士と、死して尚身分制度そのままに葬られている。
 5~6万基の墓と300万人が眠る日本では最大級の共同墓地。上記の大乗寺の側にある。
感想:広い! さすが加賀百万石で暮らした人々が眠る墓地。駐車場も複数あるほど。前田家の墓に廻るだけでもかなりの距離を歩いた。探せば知っている重臣のお墓も多数あると思うがとても無理>< 雨が降っていたので足下が滑りやすかった。歩き回ったせいでここで1時間くらい時間を取られてしまった。

(前田利家の墓)

(前田利常の墓)

(豪姫の墓。前田家当主より高い位置にあった。豊臣家の養子だからか?)

(村井長頼の墓)

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