金持景藤の墓(建武の忠臣)

●金持景藤の墓
住所:鳥取県日野郡日野町金持
駐車場:なし

 金持は「かもち」と読む。金持氏は当地を拠点とした武士でたたら製鉄に関係していたという。元弘3(1333)年、隠岐を脱出した後醍醐天皇が名和長年に助けられ船上山に籠もると、景藤は三百騎を率いて馳せ参じ鎌倉幕府軍と戦った。天皇の京都還幸の際、左に侍した。その後、足利尊氏が反旗を翻すと新田義貞らと共に金ヶ崎城に籠もって戦っている。
 この墓は景藤の家臣が鎧を持ち帰り埋葬し供養したと伝わる。

(入口。冬に行ったのだが荒れていた。夏は登るのが大変そう)
入口

(供養塔と顕彰碑)
供養塔と顕彰碑

感想:真庭市からの帰りに参拝しました。