●阿波茨ヶ岡城、茨ヶ岡館(和食城、井の原城、岡城)
住所:徳島県那賀郡那賀町和食郷(字 北地)
駐車場:なし
遺構:曲輪、堀切、土塁
標高:105メートル/比高:53メートル
四国八十八箇所の第二十一番札所・太龍寺の建つ山の南の尾根先端にある。東西と南に中山川が流れており天然の濠になっている。天正4(1576)年、阿波守護・細川持隆の息子だった細川真之は阿波を支配する三好長治から実権を与えられず憤って勝瑞城を抜け出し仁宇谷(旧那賀郡の那賀川上・中流地域)に移る。この時の茨ヶ岡城を築城したと思われる。翌年、長治を撃退し長宗我部元親と通じた真之だったが、天正10(1582)年に所属不明の江村兵衛進、本木新左衛門らに襲われ落城し持隆の遺品だった仁王清綱の脇差で自害したという。
(城址に着く。単郭で東西に堀切があるだけの簡単な城。写真は西の堀切と主郭への切岸)
(茨ヶ岡館。祠と五輪塔、城址碑があった。土塁があるらしいが分からなかった)
参考文献:徳島県の地名、三好一族と阿波の城館、阿波古戦場物語、阿波の城 (徳島郷土双書 1) 、阿南市史 第2巻 (近世編)、日本城郭全集 第12
感想:城の入口が分からず住宅街を彷徨っていたら館跡に出ました。その後、無事に城の入口にも辿り着けました。地元の方とは会いませんでしたが不審者だと思われた方がおられたら申し訳ありません。皆様はそうならないよう下のルートマップを参考にしてください。
阿波は単純な造りの城が多いため断言はできませんが、真之が仮の居城として茨ヶ岡城を築いただけでいずれは勝瑞城に戻るつもりだったのでしょうか。