如意山観泉寺(山中鹿介幸盛の胴塚)

●如意山観泉寺(山中鹿介幸盛の胴塚)
住所:岡山県高梁市落合町阿部1979
駐車場:あり

 曹洞宗。高梁市落合町原田の深耕寺の末寺。本尊は観世音菩薩と釈迦如来。永正元(1504)年、深耕寺の章厳を回忌として地元の武士・武地宗光が創建した。明治4(1871)年に焼失したが檀家などによって再建される。明治43(1910)年に同地区の大雲寺釈迦堂を合併した。昭和55(1980)年に改築している。
 天正6(1578)年、山中鹿介幸盛阿井の渡しで毛利氏によって殺されると、観泉寺の当時の住職・珊牛(さんぎゅう)が引導を渡して石田畑(赤羽根地区)に胴体を葬った。観泉寺には位牌があり表には「幸盛院殿鹿山中的居士霊位」、裏には「尼子右衛門尉晴久公之賢臣山中鹿之助幸盛者於当村心安泉下(後略)」とある。

(全景。手前が駐車場)
全景

(多分、六地蔵)
六地蔵

(山門)
山門

(鐘楼)
鐘楼

(本堂)
本堂

(山中鹿介幸盛の胴塚。何時の頃か不明だが、この辺りを開墾した際に首のない遺骨の入った石棺が出たため、これは鹿介に違いないということで遺骨を掘り出して当地に埋葬し直した。そして明治35(1902)年に岡山市在住の村本三十郎が胴塚の碑を建てている)
山中鹿介幸盛の胴塚

山中鹿介幸盛の胴塚

山中鹿介幸盛の胴塚

(文政年間(1818~30年)に江戸の大相撲の力士だった金剛力熊ヶ嶽の墓)
金剛力熊ヶ嶽の墓

参考文献:曹洞宗公式 寺院ポータルサイト(https://sotozen-navi.com/detail/index_330059.html)、川上郡誌

感想:ということで実は胴塚に埋まっている遺体が鹿介なのかは定かではないです。この付近には赤羽根イナリ古墳があり、石棺や人骨も出ているということから遺骨は古代人ではないかと個人的に思っています。
 石田畑に葬った話が本当かどうかまでは分かりませんでした。