山中鹿介幸盛の墓(阿井の渡し)

●山中鹿介幸盛の墓(阿井の渡し)
住所:岡山県高梁市落合町阿部
駐車場:なし

 阿井の渡しは高梁市落合町阿部と高梁市玉川町下切の間に流れる成羽川を渡るため運行されていた渡し船のあった場所である。天正6(1578)年、播磨上月城で毛利軍に降伏し捕まった山中鹿介幸盛は毛利輝元の本陣のあった備中松山城に護送されていた。しかし同年7月10日、阿井の渡しで毛利氏の恭順の意を疑われ天野元明が家臣に命じて殺害させている。
 遺体は観泉寺の住職によって葬られ討ち死にした場所には目印として榎が植えられ根元には供養塔として五輪塔を建てた。だが洪水によって流出したため、正徳3(1713)年10月に備中松山藩士の前田時棟と足軽・佐々木郡六が現在の墓(供養塔)を建てている。墓の裏には「尼子十勇 儕輩絶倫 不得伸志 無遭于時 忠肝義膽 爰樹爰封 殊勲偉績 千載流芳 前田時棟 謹銘」と刻んである。基礎の石は明治16(1883)年に地元の有志が建立したもの。

(全体)
全体

(写真では分からないが墓は2メートル以上ある)
墓

(裏の文字は読みづらくなっている)
文字

(横にあった碑は読む限りでは四百回忌のもののようだ)
四百回忌

(墓の南を流れる高梁川を撮影したが、参考文献を読むと阿井の渡しはもう少し西(写真だと中央の山の麓辺り)に思える)
高梁川

参考文献:岡山県の歴史、岡山県地理、雲陽軍実記、川上郡誌、山中鹿之助、高梁市公式サイト高梁市観光ガイド、現地の案内板

感想:駐車場はないですが、墓の前に駐車スペースはあります。ただし駐めていいのかは不明です。


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