善風塚跡(筑後川の戦いで戦死した七人の武将の墓跡)

●善風塚跡
住所:福岡県小郡市大保1394(大原小学校内)
駐車場:大原小学校に駐車場があるが利用して良いか不明

 延文4(正平14,1359)年、筑後川の戦い(大保原の戦い)で南朝側の菊池武光等の軍勢と北朝の少弐頼尚等の軍勢がぶつかり、5,400以上もの戦死者が出た。後年、南朝と北朝の両軍で遺骨を集めて葬り善福寺(善風寺とも)を現在の小郡市三沢に建てて供養する。
 両軍の指揮官クラスの七人の武将の遺骨は特別に方形の塚を建て、その下に埋めて墓とした。これが善風塚(小善風と大善風)と呼ばれたが、明治時代から昭和時代に開拓や宅地化が進み更に九州鉄道(現在の西日本鉄道)の線路が通ったため失われた。善福寺も戦国時代の混乱で衰退し廃寺となっている。
 現在は4基の塚があった小善風跡は「希望の森」になっている。小学校の南に3基の塚があったという大善風跡の現在の状態は不明である。

善風塚跡

善風塚跡

善風塚跡

善風塚跡

参考文献:小郡市史跡案内 第2版、懐良親王と三井郡、小郡市埋蔵文化財調査センター福岡県の観光/旅行情報サイト「クロスロードふくおか」、小郡市埋蔵文化財調査報告書第263集「三沢寺小路遺跡6」、臨牀と研究 第69巻 第11号(平成4年11月号)

感想:休日でしたが学校内でしたので、学校などに事前の許可を取って入りました。
 善風塚跡を西に300メートル進むと陸上自衛隊 第5施設団 小郡駐屯地がありますが、門衛が夜に塚跡から白い鎧をつけた武士が出てきて前を通ったと言い出し複数人が見たと噂になったため、陸上自衛隊と小郡市で墓前祭を行ったそうです。