筑後国主田中吉政公之像(柳川市)

●筑後国主田中吉政公之像(柳川市)
住所:福岡県柳川市坂本町

 田中吉政は宮部継潤、豊臣秀吉、豊臣秀次、徳川家康に仕え、関ヶ原の戦いでは石田三成を捕らえた。戦後、三河岡崎城から移封され筑後一国の大名となる。柳川城に入った吉政は城下町の整備や治水、干拓事業などを行い筑後の発展に尽くしたが、慶長14(1609)年に62歳で亡くなった
 銅像は平成2(1990)年、柳川での功績を称え田中吉政顕彰会が建立する。

田中吉政公之像

田中吉政公之像

参考文献:戦国人名事典、現地の案内板

感想:銅像のある場所が狭くて車が駐めづらかったです。。川下りの最中に見るために作られたような感じだから仕方がないですが。


田中山真勝寺(田中吉政の墓)

●田中山真勝寺(田中吉政の墓)
住所:福岡県柳川市新町5−10
駐車場:あり

 浄土真宗大谷派。本尊は阿弥陀如来。延徳年間(1489~1491)、筑後の仁王丸村(福岡県久留米市北野町仁王丸)に真教寺として創建された。文禄元(1592)年、立花宗茂が大屋小路(柳川市一新町)に移している。
 慶長5(1600)年の関ヶ原の戦い後、立花宗茂らに代わって田中吉政が筑後を治めた。慶長14(1609)年に吉政が亡くなると藤吉村(柳川市三橋町藤吉)に葬られ、その墓の上に真教寺が移され菩提寺となった。この時に真勝寺に改めたと伝わるが、宗茂が移した時という説もある。
 寺には田中吉政の肖像画と位牌が安置してある。

(参拝当時は工事中だった山門)
山門

(本堂。本堂自体が吉政の墓と伝わる)
本堂

(田中吉政公顕彰碑)
田中吉政公顕彰碑

(本堂の下にある田中吉政の墓)
田中吉政の墓

田中吉政の墓

参考文献:福岡県の地名、市内の寺社仏閣(パンフレット)、旧柳川藩志 中巻

感想:田中吉政の墓は住職さんの許可を得て入りました。当たり前ですが、勝手に入れなかったと記憶しています。柳川市三橋町藤吉から現在地に移った時期のことが調べても分かりませんでした。


三柱神社(立花道雪、立花宗茂、誾千代を祀る)

●三柱神社
住所:福岡県柳川市三橋町高畑323−1
駐車場:あり

 祭神は立花(戸次)道雪、立花宗茂、宗茂の妻で道雪の娘・誾千代。天明3(1783)年、七代藩主・立花鑑通が道雪への神号を神祇官(※1)に願い出て梅岳霊神が贈られた。そこで柳川城内に梅岳宮を創建して道雪を祭る。
 文政3(1820)年、宗茂と誾千代に神号が贈られたことから、二人を祀っていた唯一宮を梅岳宮に合祀し、三柱の祭神を祀ることから、三柱宮と改称した。文政8(1825)年、現在地に移転する。明治維新後、三柱神社と改称したと思われる。
 文政年間からの建物が残っていたが、平成17(2005)年、放火により拝殿など大半が焼失した。本殿のみが被害を免れている。

※1 神祇官:朝廷の祭祀を執行し、大嘗祭、鎮魂祭、卜兆などの神事を取り扱い、官社の祝部(はふりべ)・神戸を監督する官司

(鳥居)
鳥居

(参道)
参道

(再建された拝殿)
再建された拝殿

(池)
池

参考文献:福岡県の地名、「宗茂・誾千代」ゆかりの地を巡る(パンフレット)、旧柳川藩志 中巻、福岡県神社誌 下巻、三柱神社 公式サイト

感想:放火した消防団の男性は動機を「大火を消したかった」と話しているそうです。英雄症候ってやつでしょうか…?
 写真は2010年のものです。本殿を撮影していないなど、この当時は雑に参拝したことが分かりますね。