土佐米ノ川城(土佐南部氏の居城)

●土佐米ノ川城
住所:高知県高岡郡四万十町米奥
駐車場:あり
遺構:曲輪
標高:279メートル/比高:45メートル

 北から東にかけて四万十川が流れている。土佐南部氏の居城で築城年代、築城者は不明だが、応安3(建徳元,1370)年に陸奥にいた南部周防守高忠が当地に来て開発したという。南部氏は大野見氏に仕えるが裏切って津野氏と共に大野見氏を攻撃して与津浦に追いやり、以降は津野氏に仕える。津野氏が長宗我部元親の配下となった後も引き続き津野氏に仕え、最後の当主・太郎左衛門長宗我部盛親の改易後に山内氏に仕えていたが、大坂の陣では盛親の元に駆け付け戦死している。

(登って行くと如意観音堂。大乗寺が建っていたが明治4(1571)年に廃寺となった。ここも曲輪跡か?)
如意観音堂

(西に進むと曲輪らしき場所がある)
曲輪

曲輪

(更に西に進むと工事車両用の道に出た。ここも曲輪などの遺構があったと思われる)
工事

工事

工事

(工事の道を進むと出てくる主郭。西側から登るのが難しかったため南から廻って登ったが、南側の道(?)が藪になっており主郭の反対側が崖になっているため行かない方がよい)
主郭

主郭

(左奥の小丘が米ノ川城)
米ノ川城

(城の東の四万十川に架かる一斗俵沈下橋)
一斗俵沈下橋

一斗俵沈下橋

四万十町地名辞典さんによると、城と四万十川の間の山崎建築工業さんの建つ小字シロハナ(城鼻)の辺りも城域だったが、昭和初期に米奥小学校第二運動場造成で消滅したらしい)
山崎建築工業

参考文献:高知県の地名、仁井田五人衆

感想:土佐南部氏が来た陸奥南部という地名が分かりませんでしたが、上記の四万十町地名辞典には陸奥の二戸から来たとありました。城郭放浪記さんには畝状竪堀群が載っていましたが分かりませんでした。



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