長宗我部盛親(1575〜1615年)
官位・通称:右衛門太郎・土佐守・宮内少輔
幼名・千熊丸。長宗我部元親の四男。1586年、長兄・信親が戸次川の戦いで戦死すると長宗我部家の後継者となる。小田原征伐・朝鮮出兵に参戦。元親と連名で『長宗我部元親百箇条』を発布した。
関ヶ原の戦いで西軍に付いたため改易。大岩祐夢と号し京で寺子屋の師匠をしていたと伝わっている。大坂の陣で大坂に入城。藤堂高虎を壊滅寸前に追い詰めるなど活躍したが、陣後に捕らえられてしまう。1615年5月15日、六条河原にて斬首された。法名・領安院殿源翁宗本大居士。
史料を見る限りでは短気で感情の起伏が激しい人物だったようである。
※詳しくは大坂の陣絵巻の長宗我部盛親をご覧下さい。
京都市下京区富小路通六条上る本塩竈町534の蓮光寺にある盛親の墓

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