長宗我部信親(1565〜1586年)

官位・通称:弥三郎
 長宗我部元親の長男。岡豊城で誕生。1575年、織田信長を烏帽子親として元服し『信』の一字をもらう。身長6尺1寸、口数少なく礼儀正しい武将だったという。
 本能寺の変後、阿波の征服を元親に進言したが、制止されると海部の香宗我部親泰を頼って独断で出兵。元親の援軍を待った。しかし元親の命令で岡豊に戻っている。8月の中富川の戦いで奮戦。
 後継者として元親を補佐するが、戸次川の戦いで700名の家臣と共に戦死した。『黒田家譜』によると島津家久の大軍に包囲された信親は周囲の敵を打ち払って切腹しようとしたが、それも叶わず取り囲まれて討ち取られたという。亡骸は谷忠澄が島津軍から受け取って高野山奥の院に納めた。のちに高知市長浜の天甫寺にも分骨され葬られている。

大分市上戸次にある信親の墓
信親の墓
UPDATE 2010年12月16日
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