●尼子義勝(久幸)の墓
住所:広島県安芸高田市吉田町西浦
駐車場:なし
尼子経久の弟・義勝は天文9(1540)年の吉田郡山城の戦いに大将で甥の尼子詮久(晴久)に従軍した。しかし城を落とすことができず、翌年に大内軍の陶隆房(晴賢)が援軍に来ると義勝は大内軍と戦って戦死している。その後、中山の山頂である当地に葬られた。
感想:民家を抜けるような感じになっているので(気持ちとして)微妙に通りづらいです。
義勝が安芸遠征に反対したため、詮久が下野守を名乗っていた義勝に対して「臆病野州」と罵ったことから、援軍の大内軍との戦いで「臆病野州の最期を見よ」といい勇敢な戦死をしたという話が有名ですが、軍記物などにしか記載がなく信憑性は低いです。