●安芸 日山城
住所:広島県山県郡北広島町新庄・中山・舞綱・志路原
駐車場:あり
遺構:曲輪、土塁、石垣
標高:704メートル/比高:265メートル
国指定史跡。日山は「ひのやま」と読む。そのため日野山城、火野山城とも表記される。天文14(1545)年頃、吉川興経が火野山の山頂に本拠地として築いた。天文19(1550)年、毛利元就の次男・元春が吉川氏に養子に入ると次第に拡張・改修されて行くが、天正19(1591)年に元春から家督を継いだ吉川広家が豊臣秀吉の命で出雲の月山富田城に本拠地を移している。
※下にスクロールすると縄張図がありクリックすると別のタブで拡大表示されるため、そちらを参考に下記の写真を見ると理解が深まる。
(やがて東西に広がる城域の東側に出る。最初に行くのは4の郭の米蔵段。この城は「○の郭」と曲輪の名前の案内があり非常に分かりやすい。ちなみに東側の3~7の郭は中城地区と呼ばれる)
(10の郭の大門の原。ここから北地区と呼ばれる城域の中央。そして笹藪になる)
(上記の北にある姫路丸。縄張図にはその先にも曲輪が載っていたが笹藪で遺構が分からないので引き返した)
(14の郭の大広間の段・池の段・中門。三方が曲輪などの高台に囲まれており周りから一斉射撃されそうだ)
(18の郭。ここら辺からどこを撮っても笹藪しか写らないので飽きてきた)
(本丸の北にある23~25の郭。本丸の手前で下るのだが笹藪で正確な道が分からなくなって本丸に直登した。GPSで大体の道は分かったけど足を踏み外して滑落するのが怖かった)
(本丸。登山道を登るより城域に着いてからここまで来る方が疲れた)
感想:豪雪地帯の北広島町のこんな標高の高い山の上に吉川一族や家臣が居住していたという史料が残っているそうですが、それがこの城の一番の驚きです。流石に冬は麓で暮らしていたのではないかと思うのですが。
途中、「チッチッチ」と舌を鳴らす音が聞こえたのでそちらを見てみたらマムシがいました。