兜山(大内輝弘ゆかりの地、古墳)

●兜山
住所:山口県山口市秋穂二島
駐車場:あり

 永禄12(1569)年、大内輝弘軍は山口市の秋穂浦などに上陸し再興戦を開始したが毛利軍の反撃に遭い撤退。輝弘も秋穂浦から脱出しようとしたが上陸した際の船がなく、狼狽してこの山で兜を脱ぎ捨てたと伝わる。
 兜山古墳は直径20メートル、高さ3メートルの円墳で、内部の主体は組合箱形石棺になっており若い女性が葬られていた。頭部側の棺外に鉄剣2本、刀子4本、鉄斧1本、手斧2本、手鎌5本、鉄5個が一箇所に埋置されていた。

(兜山。平地が曲輪に見えるが関係ないだろう)

兜山

(兜山からの景色。対岸に見えるのは山口市阿智須。ここに来て逃げるための船がないことを知った輝弘の絶望は如何許りであっただろうか)
兜山からの景色

感想:ここは古墳としての方が有名です。現地の案内板でも輝弘のことについては何も触れていませんでした。



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