周防茶臼山城(大内輝弘終焉の地)

●周防茶臼山城
住所:山口県防府市富海
駐車場:富海海水浴場の駐車場を利用
遺構:曲輪
標高:108メートル/比高:104メートル

 築城年代などは不明。永禄12(1569)年、大内再興のため山口市秋穂地区に上陸した大内輝弘だったが、毛利軍の反撃に遭い秋穂に撤退する。しかし船は引き上げていたため吉川元春の追撃を受けながら富海まで逃げた。だがここも船が一艘もなかったため、当城で抵抗したが遂には自害して果てる。

(茶臼山城(向かって右端)と富海浦)
富海浦

(上から見た富海浦。ここまで来た時に輝弘はすでに諦めていたのだろう)
富海浦

(旧山陽道入口。ここから城に向かう。散歩している地元の方と話したところ、この辺りでも熊の目撃情報があるとのこと)
山陽道

(国道2号線と山陽本線の間にある旧山陽道)
山陽道

山陽道

山陽道

(茶臼山城の麓(山陽道沿い)にある大内霊神の祠。大内輝弘を祀っていると伝わる)
大内霊神

大内霊神

(大内霊神の隣にあった祠。中は村朝霊神と刻んであったが祠に大内氏の家紋があり、こちらも何か関係がありそう)
村朝霊神

(山陽道から茶臼山に登る。写真では分かりづらいが登山道がある)
登山道

登山道

(途中には輝弘が切腹した場所と伝わる腹切岩がある)
腹切岩

(山頂部の曲輪。残念ながら小さな曲輪と山陽道のある北以外の三方が急斜面になっているだけで、小規模な戦ならともかく毛利の大軍に抵抗できるとは思えない)
曲輪

曲輪

曲輪

感想:国道2号線から富海駅の東側を越えて富海海水浴場に出ることができますが道が非常に狭いため、遠回りでも富海公民館かもう一つ東の信号から南に入った方がいいです。

(縄張図)
縄張図



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