石見三之瀬城(津和野城の支城)

●石見三之瀬城
住所:島根県鹿足郡吉賀町柿木村福川
駐車場:なし
遺構:曲輪、堀切など
標高:263メートル/比高:83メートル

 天文11(1542)年、吉見氏の家臣・斎藤助五郎が築城したという。南以外を福川川が流れ天然の濠となっている。長門と周防の国境近くにあり、安芸方面に向かう道もある要衝だった。天文23(1554)年に陶晴賢の軍勢が対立する吉見正頼を屈服させるため攻め込んで来た際、江良房栄の攻撃を受けるが助五郎が守り切ったと伝わる。だが房栄は吉見氏の居城・津和野城(三本松城)の攻撃に加わっていることから実際は落城したと思われる。

(入口。私有地っぽいが・・・)
入口

(一番南の曲輪)
南の曲輪

(南の曲輪の後ろの山稜を断ちきるための堀切)
堀切

(北に向かって段々に曲輪がある)
段々の曲輪

段々の曲輪

(木がなければ北から攻めてくる敵が一望できたのだと思う)
一望

(全景。手前から二番目の山だったと思う)
全景

参考文献:島根県の地名、柿木村誌 第1巻、西石見の豪族と山城、石見の中世城館、石見の山城

感想:訪問した頃は城にあまり興味がなく南側の堀切をじっくりと見てなかったです。残念。
 山陰の戦国史跡を歩く 島根編から割愛した史跡です。

(縄張図)
縄張図



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