出雲福良城(雲芸攻防戦で争奪戦になった城)

●出雲福良城
住所:島根県松江市東出雲町上意東
駐車場:なし
遺構:曲輪、堀切など
標高:190メートル/比高:150メートル

 東出雲町から京羅木山を越えて月山富田城に向かう荒田越にある要衝だった。尼子氏の家臣・佐久間左衛門入道の居城だったと伝わり、左衛門入道が永禄年間(1558~1570年)に毛利氏に寝返ったため尼子軍に落とされている。その後、尼子氏は2名の家臣を入れたが、両名も毛利氏に寝返ったため再び尼子軍に落とされた。
 毛利氏の家臣が残した「小川信秀覚書」の写しには「福良伊藤小屋罷籠切退候時高名仕」とあり、理由は不明だが毛利軍が立て籠もったが放棄したようである。

(全景)
全景

(入口にある看板)
看板

(山はそのまま登らず写真のところで曲がる。看板がないので気をつけること)
曲がる

(細長い曲輪とたまに堀切がある単純な城だった。どうやら雲芸攻防戦の頃、臨時に造られた城のようだ)
細長い曲輪

細長い曲輪

細長い曲輪

細長い曲輪

細長い曲輪

細長い曲輪

感想:GPSログを取っていなかったため後で見返した際、どこを歩いたか分からなくなりました。

(縄張図)
縄張図



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