俊龍寺(豊臣秀吉、足利義輝、足利義昭の供養塔。弘中隆兼の墓)

●俊龍寺
住所:山口県山口市天花2-12-1
駐車場:あり

 大内氏の重臣・弘中氏の菩提寺だったが、大内氏滅亡後に荒廃した。慶長2(1597)年が足利義輝と義輝の母の33回忌だったことから毛利輝元の命で柳澤元政が法会を取り仕切っている。元政はその頃、当地に献珠院を再興しておりそこで法会を行い、同年に亡くなった足利義昭の法会も行って3人の供養塔を建てた。翌年の慶長3(1598)年に豊臣秀吉が亡くなると輝元の命で元政が廟の建立を行っている。元政は当寺を位牌所とし秀吉拝領の鎧を納め供養塔を建て、山号を豊国山、寺号は秀吉の法名「国泰寺殿雲山俊龍大居士」より俊龍寺と改めた。

(山門)
山門

(本堂)
本堂

(向かって右から豊臣秀吉、足利義輝、足利義昭、義輝と義昭の母・慶寿院の供養塔)
豊臣秀吉、足利義輝、足利義昭、義輝と義昭の母・慶寿院の供養塔

(裏山に建つ柳沢家の墓)
裏山に建つ柳沢家の墓

(弘中隆兼の墓)
弘中隆兼の墓

感想:秀吉らの墓は解説があり丁寧に扱われていますが、隆兼の墓は墓地の一角にひっそりとありました。墓の後ろの石碑には名前が刻んでありましたが・・・。



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