2024年8月の伯耆尾高城
2024年8月2日(金)、休みだったので国指定史跡になってからの尾高城の様子が気になって散歩を兼ねて行ってきた。
(幟がたくさん立っていた。この辺り、道が整備された気がする)
(現地の説明板にある縄張図。場所はここを参考にしてください)
(尾高城が国指定史跡になった決定打はこの一文で間違いないだろう。日本国民なら誰でも知っている話で山中鹿介○ンコスイマーとか散々な言われようをしている要因の一つである)
(尾高城と言えば南大首郭のイメージがある。暑い中、草苅をされていた。お疲れ様です!)
(中の丸との間にある空堀。草苅をされていた方(米子市の職員?)が「そっちは草苅してなくてごめんね」と言われていた。こんだけ草が生えていれば追いつかんでも仕方がない。取りあえず整備が進むまでの仮だろうが紙でのルート案内がある)
(二の丸と本丸は相変わらず入れない・・・。自分は特別公開の時に入ったが遠方から来た方は整備が進むまでは難しいだろう)
(本丸や中の丸の周囲にある空堀や帯曲輪(?)。ここも全て順番が書いてあり国指定史跡になって興味を持った方にも見学してもらおうという気持ちを感じる)
(南大首郭やⅣ郭と天神丸の間にある堀は米子市尾高地区と岡成地区を繋ぐ道路になっている)
(城の南にあるシャトーおだか。2025年まで改装工事らしく立入禁止。ここにある杉原盛重に感謝する碑は、盛重の一族の子孫が偉い人で立ったとか聞いたが覚えていない。米子市民は盛重に感謝するどころか存在も知らないだろう。当時から本人も住民も備後人との認識だったので。ちなみに感謝の碑は昔、撮ったもの)
感想:整備されたら、またみんなと見学に来たい。