首塚古墳(島原・天草一揆戦死者の首塚ヵ)

●首塚古墳
住所:長崎県雲仙市愛野町乙3566(字 首塚)
駐車場:なし

 直径5メートル、高さ10メートルの円墳。周囲が畑だったため、耕作の時に削られて現在の形になったという説がある。
 寛永14(1637)年の島原・天草一揆で殺された首1万が3分されて、熊本県天草郡苓北町富岡、長崎市西坂町、そして長崎県雲仙市愛野町に埋葬された。首塚古墳が三つに分けられたうちの一つと伝わっている。だが、古墳時代後期の6世紀頃に当地を支配していた豪族の墳墓という説が有力である。
 島原・天草一揆では愛津村(当地)の代官が千々石村(雲仙市千々石町)の庄屋から一揆の状況を聞き、山田村(雲仙市山田町)や野井村(愛野町甲)に対して武器を持って愛津村に集まることを命じた。そして千々石坂を登って一揆勢と戦闘になったという。このことが転じて首塚伝説になった可能性もある。

首塚古墳

参考文献:長崎県の地名、愛野町郷土史、長崎県の歴史散歩おらしょ-こころ旅、長崎県文化財調査報告書 第59集 (島原・南高の文化財)、現地の案内板

感想:駐めるところがなく道も狭いため、離れたところに駐めて歩いていきました。
 上にある碑が気になりましたが登るわけにはいかず、遠くから眺めるだけにしました。


© Tikugonokami's Logbook. All rights reserved.