常陸 神宮寺城(北畠親房が立て籠もった城)

●常陸 神宮寺城
住所:茨城県稲敷市神宮寺(字 道向)
駐車場:不明
遺構:曲輪、土塁、空堀
標高:29メートル/比高:2メートル

 県指定史跡。北以外は谷津(やつ。丘陵地が長い時間をかけて侵食されて出来た谷状の湿地)だった。城の築城年代や城主は不明である。
 延元3(暦応元,1338)年、南朝の北畠親房は義良親王と宗良親王を奉じて陸奥に向かって海路を進んでいたが、途中で暴風雨に遭い船は四散してしまった。北畠親房とその兵達は東条浦(稲敷市の湖岸一帯)に漂着し神宮寺城に入ったが、北朝の佐竹義篤・大掾高幹・鹿島幹寛らの攻撃を受け落城し阿波崎城に逃れている。

(入口)
入口

(空堀)
空堀

(曲輪と土塁)
曲輪と土塁

(大正4(1915)年に建てられた北畠准后唱義之処碑。准后とは天皇の近親者、または摂政・関白・太政大臣その他功労ある公卿・武官・僧侶などを優遇するために特に設けた称号のこと)
北畠准后唱義之処碑

参考文献:茨城県の地名、現地の案内板、茨城県の中世城館、千葉県公式サイト茨城県教育委員会

感想:訪問した際の記憶が全くないです。