寿亀山天樹院弘経寺(千姫の墓)

●寿亀山天樹院弘経寺(ぐぎょうじ)
住所:茨城県常総市豊岡町甲1番地
駐車場:不明

 浄土宗。本尊は阿弥陀如来像。応永21(1414)年に創建されたという。天正5年(1577年)、北条氏と多賀谷氏の戦いで多賀谷氏が陣を構えたため伽藍が焼失し九世・存把は寺宝を携えて結城を去る。文禄4(1595)年、徳川家康の次男・結城秀康が息女の松姫の供養を存把に行ってもらった縁で結城市に弘経寺を再建した。
 そのため常総市の弘経寺は無住の状態が続き苦境に立たされるが、十世・照誉了学に帰依していた千姫が菩提寺と定めたことから江戸幕府の援助を受け、土井利勝が普請奉行を務め寛永10(1633)年に再建している。江戸幕府が定めた浄土宗の学問所である関東十八檀林の一つになるほど隆盛を極めた。明治39(1906)年に伽藍・庫裡の一部が焼失する。
 寺宝に千姫の持仏として伝わる金銅阿弥陀如来立像(市指定文化財)、千姫の孫・奈阿姫が千姫の供養のため書写して奉納した紺紙金泥阿弥陀経(市指定文化財)、千姫姿絵(市指定文化財)、千姫遺愛の品と伝わる葵紋付五條袈裟などがある。

(入口)
入口

(開山堂)
開山堂

(この土蔵の中に経蔵がある)
経蔵

(平成20(2008)年に改修された本堂)
本堂

(天樹太姫祠堂出碑)
天樹太姫祠堂出碑

(千姫御廟。長らく遺髪が納められていると伝わっていたが、平成9(1997)年の保存修理の際に遺骨が見つかっている)
千姫御廟

参考文献:現地の案内板、茨城の寺2、茨城の寺4、弘経寺公式サイト

感想:山門などを見逃していることに記事をまとめていて気がつきました。



医王山東光寺(江戸崎不動院。天海大僧正ゆかりの寺)

●医王山東光寺(江戸崎不動院)
住所:茨城県稲敷市江戸崎2737
駐車場:あり

 天台宗。本尊は不動明王像。江戸崎不動院の通称で知られる。嘉祥元(848)年、慈覚が開山したと伝わる。文明2(1470)年、江戸崎城主・土岐原(土岐)景成が大檀那となり比叡山無動寺の幸誉が伽藍を整備した。四世・幸憲の時、天台宗の僧のみに許されていた素絹衣を常陸国内の真言宗の東寺門下の僧が用いるようになったことから、東光寺は延暦寺経由で朝廷に訴えている。天文24(1555)年、後奈良天皇が東光寺宛に綸旨を出して東寺の教えに従うように命じて一応は解決した。
 天正18(1590)年、豊臣秀吉から寺領を与えられ天海が住職となる。慶長7(1602)年には徳川家康から寺領を与えられた。明暦元(1655)年には徳川家綱から江戸城の紅葉山仮御殿と四足門を与えられ移築している。明治9(1876)年に不動堂・山門(仁王門)以外が焼失したが、昭和49年(1974)
に再建した。
 寺宝に天海大僧正像、十一面観音菩薩坐像、当麻曼荼羅図などがある。

(参道)
参道

(本堂)
本堂

(願満不動尊)
願満不動尊

(山王宮)
山王宮

(東側(小野川)方面を望む)
東側(小野川)方面

参考文献:茨城県の地名、不動院公式サイト

感想:訪問した当時は仁王門の存在を知らなかったため行っていないです。



塚原卜伝の墓(梅香寺跡)

●塚原卜伝の墓(梅香寺跡)
住所:茨城県鹿嶋市須賀503
駐車場:あり

 鹿嶋市指定史跡。塚原卜伝は延徳元(1489)年、鹿島神宮の神職・卜部(うらべ)吉川家左京覚賢の次男として生まれ、塚原城の城主塚原土佐守安幹の養子となる。少年時代に剣術を習得した卜伝は3回の廻国修行に出て、将軍の足利義輝や伊勢の大名・北畠具教などに剣術を教えた。元亀2(1571)年に亡くなり梅香寺跡に葬られている。

(駐車場完備)
駐車場完備

(全景)
全景

(階段)
階段

(墓)
墓

墓

参考文献:鹿嶋市公式サイト、現地の案内板、日本の古武術

感想:写真を見てもらって分かるように、この時は東日本大震災後(だと思う)の工事中でしたが参拝はできました。
 一部のサイトでは卜伝を祖とする「鹿島新當流」が茨城県の無形文化財に指定されているのを墓のことと勘違いして書いてありますが、墓は無形ではありません。